日本人なら懐かしい「歌の昭和史」総ざらい(前編) 「赤とんぼ」は昭和2年の国民的ヒット曲だった

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昭和4(1929)年は宝塚花組の『モン巴里』、翌年には定番中の定番『すみれの花咲く頃』を宝塚月組がレコーディングしてヒットした。

戦後歌謡界の重鎮・藤山一郎の歴史的大ヒット曲『影を慕いて』(作詞・作曲:古賀政男)が生まれたのは昭和7(1932)年、五・一五事件起きた年だ。 

藤山は東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部の前身)卒で、バリトン歌手のキャリアがあり、戦後も『青い山脈』『長崎の鐘』などをヒットさせ、生前に国民栄誉賞を授与された。

日本の歌手で同賞の栄誉に浴したのは、美空ひばり(死後に授与)と藤山の2人のみである。

ヒット曲を連発した古賀メロディの原点

作曲の古賀政男も、国民栄誉賞の受賞者である。

伝統ある明治大学マンドリン倶楽部でクラシックを学び、それが生涯5000曲とも言われる古賀メロディの基礎になっている。藤山一郎とのコンビでは、他に『丘を越えて』『酒は涙か溜息か』のヒット曲もある。

古賀メロディの原点には、5歳で父を亡くした古賀の、故郷(水の都・福岡県柳川)喪失者の悲哀と原風景がある。

美空ひばりのレコード大賞曲『柔(やわら)』(昭和39[1964]年)も古賀政男の代表曲のひとつである。

「美空ひばり 公式YouTubeチャンネル」より
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