江戸のメディア王・蔦重を駆り立てていた原動力 NHK大河「べらぼう」主人公に学ぶ仕事のコツ

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喜多川歌麿画 「婦女人相十品」 ポペンを吹く娘(画像:メトロポリタン美術館 H. O. Havemeyer Collection, Bequest of Mrs. H. O. Havemeyer, 1929)
2025年NHK大河ドラマの主人公として脚光を浴びている江戸のメディア王・蔦屋重三郎(蔦重)。開業当初は、十分な資金も後ろ盾も持っていなかった蔦重ですが、磨き抜かれたビジネスセンスと熱意で、出版界のスターダムを駆けあがっていくこととなります。
悔しいことは誰の人生にも起きるもの。それは蔦重の人生も例外ではありませんでした。けれど、その悔しさを鮮やかにバネにすることで、前人未到のビジネスモデルを次々に打ち立てていったのです。車浮代著『仕事の壁を突破する 蔦屋重三郎 50のメッセージ』から一部抜粋してお届けします。

自分の居場所を模索し続けてきた蔦重

蔦重は養子です。あえて言葉を選ばずに言えば、両親に置き去りにされた子どもです。幼くして後ろ盾を失ったのち、厳しい環境の中で、自分の居場所を模索し続けてきた人なのです。

養子先の喜多川家では可愛がられてはいたかもしれませんが、布団の上げ下げから掃除、接客と、何でもやらされる下働きの日々。さらに、義兄は店主として店を任されているなか、自分はただ軒先の小さなスペースを間借りさせてもらうだけ……。

どんなに仲のよい家族だったとしても、「養子である自分」と「実子である兄」との扱いの違いを、感じなかったわけはありません。育ててくれていることへの感謝はあるにせよ、日々その歴然とした格差を見せつけられ、悔しさをにじませていたであろうことは、想像に難くないはずです。

「このままでは終われない」

「自分を置いていった両親に、自分の存在を知ってほしい」

そんな悔しさがいつのまにか、蔦重の心に火を宿していたのです。辛い生い立ちは、のちに類まれなる立身出世を果たすことになる、蔦重のモチベーションの1つとなっていきました。

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