写楽や歌麿を世に送り出した蔦重のスゴい仕事術 NHK大河「べらぼう」主人公に学ぶ仕事のコツ
狂歌連(狂歌が趣味の武士たちのサークル)や吉原連といった集いにこまめに参加するなど、日頃からさまざまなところに顔を出すことは、蔦重にとっては重要な任務の1つでした。
張り巡らせたネットワークは、蔦重の財産であると同時に、いわば大事な商売道具。人々と密な関係を構築していくことが、将来的な大物作家の確保や、販路の調達へとつながっていったのです。言うなれば、日常的に根回しを行っているようなものです。
たった1つのコネクションを持っていることが、夢や野望の実現につながったということは、往々にしてあるもの。蔦重はそれをよく知っていたからこそ、日夜、人々と活発に交流し、自分の夢やプランを口にしていました。
蔦重が亡くなった後の蔦屋から、『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』に代表される、曲亭馬琴と葛飾北斎がタッグを組んだ大ヒット作が刊行されました。これらは当時、『南総里見八 犬伝』よりも高い人気を誇りました。この見事なコラボレーションも、蔦重の強靭な ネットワークから生み出されたものと言えるでしょう。
蔦屋の礼をわきまえ、方々に気を回す人柄
そして、人脈を広げていくときに忘れてはならないのが、礼儀、そして相手を慮る気持ちです。
たとえば、自分がずっと会いたいと思っていた人に、人を介して会わせてもらったとき。もし紹介者が同席しなかったのなら、憧れの人に会ったその日のうちに、紹介者に一報を入れるようにしましょう。
紹介してくれた人は、「うまくいったかな」と気を揉んでいたかもしれません。そうでなかったとしても、その人のお蔭でつながったご縁ですから、ことの成り行きを報告するとともに、改めてお礼を伝えるのはとても大切なことです。それが礼を尽くすということなのでしょう。
自由な江戸っ子風情の蔦重ですが、彼自身、そういった礼節をとても大切にする律儀な人でした。礼をわきまえ、方々に気を回す人柄だったからこそ、みんなが彼に惚れ込み、「ともに仕事がしたい」と集ってきたのです。
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