「漫画 君たちはどう生きるか」作者を変えた観察力 観察力を鍛えると必然的に他の能力も鍛えられる
そして彼の観察力を上げたくて、僕は1日1ページ、コルクの社員を観察してマンガを描くように、というお題だけを彼に渡した。それは『今日のコルク』という電子書籍にまとまっている。下にある画力と見比べてみてほしい。
その後、紆余曲折があり、羽賀翔一は『漫画 君たちはどう生きるか』というメガヒットを生み出す。今の彼の課題は、その観察力で把握したものを、どうやって世間が興奮するペースでアウトプットし続けるかに変わった。
観察力の鍛えられた作家に、良いお題を渡すと自走し始める。
「半径5メートル以内の出来事を毎日1ページマンガにする」
そんな簡単なお題が、日本を代表する作品を生み出すのに必要な観察力を鍛えられるのだとしたら、それはなぜか。羽賀翔一の観察力の成長を解明することが、観察力の鍛え方に再現性をもたせるきっかけになる。
問いと仮説の無限ループが、創作の源に
僕はこの本の執筆も兼ねて、2年近く、観察とは何かを考え続けていた。そして、今、観察に対する僕なりの仮説が見つかった。
まず先に、僕がたどり着いている暫定解を共有する。いい観察は、ある主体が、物事に対して仮説をもちながら、客観的に物事を観て、仮説とその物事の状態のズレに気づき、仮説の更新を促す。
一方、悪い観察は、仮説と物事の状態に差がないと感じ、わかった状態になり、仮説の更新が止まる。
観察は、問いと仮説の無限ループを生み出すもので、その無限ループ自体が楽しいものであるため、マンガをはじめとするさまざまな創作の源になりえる。「観測」は、観測自体が目的になるが、「観察」は自分で見つけてしまったがゆえに解きたくなる「問い」とセットでモチベーションになりえるのだ。
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