「頑張れる人」を無理に休ませてはいけない理由 「疲れるくらい楽しい」フェーズをどう過ごすか

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無理に休ませようとせずに、頑張らせてあげることも周りの大切な役目であり、多様性のある社会のあり方でもあるでしょう。

パーソナルトレーナーとしても、また、子育て中の親としても思うのですが、教える側は「自分が上がろうとする人」を教えていかなければなりません。時期の早い遅いではなく、その人の経験にもよりますし、タイミングもあるでしょう。

教え子には、「あなたたちができることは、井戸の中に入って手を入れることではなく、上がってこようとしている人の手を引くことだ」と伝えています。

特に、思春期は井戸の中に深く潜りに行く時期ですし、私自身、自分の子供にも手が届かなくなって、何もできないと感じることがありました。

人は、小さな井戸から出て、また違う井戸に入るということをくり返します。学び方も積み重ねも、それぞれ自由でいいと思うのです。

学びや気づきをいつ手に取るかは、本人に決定権があります。だから、その人に決めさせてあげることが愛だとも考えています。

「いい加減が良い加減」

私の座右の銘は「いい加減が良い加減」です。そう言えてしまうほど、かつての私はまったく加減のできない、とにかく頑張って生きていた人間でした。

「自分は疲労していた」と思うと、今度は「疲労してはいけない」と思ってしまう。でも、実際には、疲労するぐらい楽しくやっていたのです。

本当はやりたかったはずのことを、ちょっといきすぎてやってしまっただけ。だから、立ち止まって、自分の「良い加減」を探しましょうという考えです。

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