94歳「伝説の大道芸人」命を削って踊り続ける理由 身体が思うように動かなくても、観客は満員

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清掃、配達、警備員などの仕事をしつつ、舞踏家として大成を目指すも、思うようにいかない。そんなとき、知人の「大道芸人しかないな」という一言が転機となった。

38歳のときに銀座で大道芸人としてデビュー。「ギリヤーク族」という北方民族に顔が似ていることから、現在の芸名が付けられた。以来、日本全国はもとより、ニューヨークやパリの路上でも公演を行ってきた。

ギリヤークさんの芸の特徴は、なんといっても「激しさ」である。引き締まった肉体や長い手足をしならせ、衣装をはだけながら力強く躍動する。その様子から、彼の舞いは「鬼の踊り」と呼ばれていたが、1995年に阪神・淡路大震災の被災地で踊ったことから、「祈りの踊り」へと変化していった。

収入はもっぱら投げ銭で、多いときは一回の公演で78万円も集まったという。

拠点のひとつである渋谷・ハチ公前で芸を披露したときは、制止しようと駆け付けた警察官に対し、観客から「帰れ!」とコールが起こった。おひねりの一部を請求しようとするヤクザを、露天商の老婆が一喝するなど、根強いファンが彼を支えてきたのだった。

ギリヤーク尼ヶ崎
大道芸人になったばかりの頃、多くの聴衆を魅了した(撮影:南達雄)

母は最期まで公演を見に来ることはなかった

55年の芸能人生を詳しく書くと、膨大な文字数になってしまうため、簡略化して紹介させてもらった。順風満帆な芸人人生に思えるかもしれないが、決してそうではない。

まず公演はほぼ無許可でしていたため、無事に行える保障はない。できたとしても、観客や投げ銭がどれだけ集まるかはわからない。特にネットがなかった時代は、いつ・どこで公演があるのか十分な周知ができず、神出鬼没にならざるをえなかった。

ギリヤークさんの母親も、路上で芸をしていることを知ると「もう少しちゃんとしたところはないの?」と言い、活動を応援しつつも、最期まで公演を見に来ることはなかったという。

かつて目指していた映画俳優が夜空で輝く星なら、大道芸人は地べたに咲く小さな花かもしれない。けれど、ギリヤークさんはこの職業に生涯を捧げることを誓い、芸人人生を突き進んできたのだった。

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