ついに明かされた出生の秘密と「父の遺した手紙」 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫⑦

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「それにしても、こうしてその当時の真相を知っている人もまだ残っていたのですね。信じられないような、また気恥ずかしいような話ですが、やはりあなたのように、事情を知っていて言い伝えている人はほかにもいるのでしょうか。長年私は耳にしたこともなかったのですが」と訊くと、

「小侍従(こじじゅう(女三の宮の乳母子(めのとご)))と私のほかに知る人はございません。一言たりとも他人には話しておりません。私は頼りなく、人の数にも入らない身の上ですけれど、夜となく昼となくずっとあのお方(柏木)のおそばについておりましたので、自然とことの次第も知ってしまったのですが、お心ひとつに抑えかねるほどお悩みだった時は、ただ私と小侍従の二人を通してだけ、たまさかに宮(女三の宮)さまとお手紙をやりとりなさっていました。失礼かと思いますのでくわしくは申しません。ご臨終という時になって、少しばかりご遺言なさることがあったのですが、私のような分際でいったいどうしたらいいのやら、ずっと気に掛かっておりまして、どうしたらあなたさまにお伝えできるだろうと、験もあてにできないながら念誦の際にも祈っていたのです。やはり仏さまはこの世にいらっしゃるのだと、今こそよくわかりました。お目に掛けなければならないものもございます。もうどうとでもなれ、焼き捨ててしまおう、こうして朝夕のあいだに死ぬかもしれない身で、始末せずに残しておいたら、だれかに見られてしまうかもしれないと、それはもう心配でたまりませんでした。けれどもこちらのお邸で、あなたさまがときどきお見えになるのをお待ちするようになったので、少しばかり安心し、こうした機会もないものだろうかとお祈りする力も湧いてきたのです。本当にこれはこの世のことだけではない、前世からの因縁なのでしょう」と、泣きながらこまごまと、中将が生まれた頃のこともよくよく思い出しては話すのだった。

多くの人に先立たれてしまったこの命

「殿(柏木)がお亡くなりになった騒ぎで、私の母であった人(柏木の乳母)はそのまま病に臥し、まもなく息を引き取りました。私はいよいよ意気消沈し、藤衣(ふじごろも(喪服))を重ねてまとい、悲しいことばかり考えていたのです。そうしているうち、何年も前からよからぬ男が私に心を寄せてきていたのですが、その人が私をだまして西の海の果てまで連れていってしまったのです。京のこともすっかりわからなくなり、夫となったその人もその地にて亡くなりました。十年あまりがたちましてから、別世界にやってくるような気持ちで京に戻ってきたのです。この八の宮さまには、父方の関係で幼い頃から出入りする縁がありまして……。今はこうして世間に顔出しできる身分でもありませんし、冷泉院(れいぜいいん)の女御殿(弘徽殿女御(こきでんのにょうご)・柏木の妹)のお方のところなどは、昔からお噂を伺っていましたから、そちらへおすがりするべきだったのですが、決まり悪く思えて顔を出すこともできませんので、こうして山深くに埋もれた朽ち木のようになっているのです。小侍従はいつ亡くなったのでしょう。あの当時、若い盛りだと思われていた人たちもだんだん数少なくなってしまったこの晩年、多くの人に先立たれてしまったこの命を悲しく思いながら、それでも生き長らえているのです」などと話しているうちに、また夜も明けてしまう。

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