京都の老舗を支える「よきパートナー」という思想 自社だけでなく、客や取引先とともに成長する
平安京から幕末まで、1100年という長きにわたり、政治、文化の中心とし、1200年の歴史を持つ古都、京都。京都の歴史とともに、お家元と千家十職は、お互いが無くてはならない存在として、互いに切磋琢磨、古きを守り、時代に併せて柔軟に成長し続けているのです。
自社だけでなく、お客さまとともに、取引先とともに、一緒に成長し続ける究極のモデルが京都にはあるのです。
教科書で学ぶ歴史とは「リアリティ」が違う
京都は794年から1869年まで、1075年もの長期間にわたって、日本の首都でした。また、第2次世界大戦で空襲の被害が少なかったこと、災害が少ないことも歴史的な建造物を後世に残してきた要因です。
そんなこともあり、京都で育った私たちは、知らず知らずのうちに、自然に歴史を振り返る機会に恵まれてきました。たとえば、金閣寺と銀閣寺。
子どものころ、初めて行ったときは、ご多分に漏れず「金閣寺って、ホントに金なんだぁ!」そして、「え〜⁉ 銀閣寺って、銀じゃないの⁉」という驚きとともに「誰が、いつ、なんのために建てたんだろう?」と考えるようになります。
京都御所だって、そう。子どものころから身近な遊び場でした。そして、「なんで、天皇陛下は東京に行かれたんだろう?」という疑問を持ちます。幕末維新の舞台も、いまも多く残っています。そんな歴史的な建造物が京都にはたくさん残っており、いやが上にも歴史を振り返る機会ができます。
ただ単に、教科書で学ぶ歴史とは、リアリティが違うんです。現実の建物を見れば、歴史が本の中のおとぎ話ではなく、リアルに、人間が生き、考え、行動した結果であるという、なんとも言えないリアリティを持ちます。私は、このことは京都人独特の感性に結びついていると考えます。
794年、京都に都が遷都されました。この時代、誰が時の権力者だったのか。権力者、力を持つ人間は、時代とともに移り変わり続けます。天皇家、貴族、僧侶、武士、商人……。
それはなぜ? 何が力の源だったのか? 何が求心力だったのか?
なのに、なぜ、没落したのか? どんなときに?
平和が続いた時代の特徴は? なぜ?
そんなことと、自社の経営、会社のトップである自分自身と時の権力者を自然と重ね合わせるのです。
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