文芸評論家・三宅香帆「自分の好き」を貫く生き方 人生の節目にはいつも「本」があった
幼い頃から本を読むことが大好きで、大学の進路で文学部を選んだのも本がきっかけでした。大学院に進んだのも、『万葉集』についてもっと知りたくなったからです。大学院では『万葉集』の研究をしながら、評論がどういうものかを徹底的にたたき込まれて、このときに文芸評論家という職業があることを知ったんです。
評論を読むのも書くのも好きだったので、研究論文で文学を読み解く「研究者」という道もアリかな、と思ったこともあります。ただ、研究論文はエビデンスが重視される世界です。私はエビデンスに基づいた解釈よりも、本当かは分からなくても、書き手なりのおもしろい解釈が好きだと気付き始めたときに、デビュー作となった書籍『人生を狂わす名著50』のお話をいただいたんです。
ちょうど修士論文を書いているタイミングで、書評と論文、両方を並行して書くうちに、エビデンスに基づいた研究論文を書くよりも、書評として自分がおもしろいと思える解釈を世に出して広く届けたいという気持ちがさらに強くなりました。
このまま、大学院に通いながら書評の仕事を続けていくことも考えたのですが、研究者の世界では二足のわらじを履くことが難しいんです。修士課程は、いわば研究者としての修行の場。副業で本を出すことは、決してほめられることではありませんでした。
自分の頑張りが認められない世界よりは、認めてもらえる方が私は生きやすいかもしれない。より多くの人に向けて書く文芸の世界で生きていきたいなら、研究者として没頭するよりも、本をあまり読まない人のことも知った方がいいと思い、大学院を辞めて、副業が可能な企業への就職を選択しました。
知りたいこと以外の情報を「ノイズ」に感じてしまい…
就職したのは大手人材会社で、就職したい人と企業とのマッチング業務を担当していました。仕事自体は楽しくてやりがいも感じていたので、本業も副業も両方頑張っていたら、入社して1年目は睡眠時間が本当に取れなくて……。仕事しかしていない日々が続くこともありました。コロナ禍でリモートになってからは少し楽になったのですが、在籍していた最後の方はもうヘロヘロでしたね。
そして、あわただしく働き続けていると、物理的に本が読めないんです。私は副業で書評を書いていたので、対象となる本は読んでいましたが、それだけでもう精いっぱいでした。
本来なら、本を読むときや書評を書くときには、周辺知識や背景を理解するための「考えるモード」に頭を切り替えて、参考文献などもあわせて読みたいのですが、仕事のことで頭がいっぱいだと、なかなか「考えるモード」になれなくて。いつしか知りたいこと以外の情報を「ノイズ」に感じてしまっていたんですよね。