ただ食事がとれないために入院したので
また食べられるようになったらすぐ退院できるというすごく軽い気もちでいた>
(1988年12月11日)
この引用文からもわかるように、Aさんはしばしば振り返りの視点で記述している。「平成元年1月1日」との記述もあるので、元の日記帳があり、そこから要点を抜粋しつつ、後から清書した時に感想を書き加えたのかもしれない。あるいは、元の日記の空白に後から書き加えた可能性もある。いずれにしろ、このノートには2つの時間が流れていることになる。
入院は半年に及んだ
入院は短期では済まず、約半年間に及ぶことになった。食欲が戻らないばかりか、鼻からの出血と下血が度々あり、命の危機となる血管の破裂すら疑うほど体調が悪化してしまう。
夜下血する。
とうとう食道静脈瘤のための出血か。
はじめてのことでおそろしくて・・・>
(1989年4月10日)
胆道閉鎖症では肝臓に血液が流れ込みにくくなることで食道静脈瘤ができることがある。また、ビタミンKの不足や血小板の減少によって出血が起こりやすくもなる。脳出血で命を落とすケースもあり、深刻な状態に向かう不安感が少しずつ高まっていることがノートから伝わってくる。
この間、Aさんは2人目の出産のために別の病院への転院も経験した。時間的な猶予がないこともあり、帝王切開での出産。2人目の我が子をゆっくり愛でる余裕もなく、茉友香ちゃんと、自分の代わりに付き添っている母が待つ長良病院に戻った。
誕生日を越えた頃、茉友香ちゃんの出血は次第に落ち着くようになり、つかまり立ちも覚えた。体重は9キロを上回り、身長も70センチを超えている。2歳児としては小柄だが、確実に育っている。急変の怖さはあったが、2度目の退院を決めた。
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