黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間

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転院したのは、出産病院と同じ岐阜県内ながら自宅からは2時間半以上かかる国立長良病院(現・長良医療センター)。間もなくして病名が確定し、胆管の代わりの胆道をつくる外科手術が行われることとなった。

<何時間 泣き続けたか やっと手術がおわり もどってきました
小さなからだに お腹に大きなガーゼがはられ もう痛々しくて、また左胸にIVH(※筆者注:静脈に栄養を輸液を流し込む治療法。そのチューブを指すと思われる) 手に点滴 鼻からチューブ モニターもつけられ 酸素ボックスにいれられてました
そばにいるだけで何もしてやれず 見ているのもつらく また泣くだけでした。
でもこれからが大変なんだ
もしかしたら これでよくなるかもしれないんだ
あと何年生きられるのだろう。
とにかく茉友香のために精一杯やってやろう
茉友香は頑張っているのだ
私がメソメソしていてはいけない がんばろう
茉友香といっしょにCBAと戦おうと思いました>
(1987年6月9日)

生後間もなく2回の外科手術

術後、一度は快方に向かい退院の話が出たものの、血中のビリルビンの数値が再び上がっていき、8月末に再手術が決定する。生後4カ月。母子ともに、転院したとき以外に外の空気を吸っていない。

<また点滴だめになり 手術まで点滴なし。
 再手術することになったけど今度だめだったら・・・
 小さな身体で茉友香がんばっているのに
 再手術しても完治するわけでもない。
 それを思うともう今にでも茉友香と一緒に死にたいと考えた。何度も。
 でも何もわからない あどけない茉友香をみていると
 一生けん命 茉友香はがんばっているのに・・・
 やるだけのことは やってもらう。>
(1987年8月23日)
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