黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間

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再手術の後も劇的な状態の改善はなかった。肝臓と脾臓が大きくなり、胆汁による黄疸で、全身の皮膚が黄色い。何も知らない人から「どうして?」と尋ねられたりした。いまだ退院の話もない。それでも年末年始を自宅で過ごすようにと、初めて5日間の外出許可が出た。

半年間の平穏

ようやく正式退院となったのは、それから半年後の1988年6月だ。茉友香ちゃんは生後14カ月。早い子ならよちよち歩きをしているほどの月日が流れていた。

<健常児とくらべるとかなり発育のおくれは目立ちます
 やっとおすわりができるくらいで はいはいも つかまり立ちももちろんできません。
 毎日 病院のせまいベッドの中で育ってきたのだから健常児とくらべるのは問題外です。
 でもやっぱり心の中では はやくたてるようになって 手をつないで いっしょに歩きたいと思っていました
 でも今は こんな状態だけど何よりも無事退院でき
 元気な茉友香だけで十分です。>
(1988年6月13日)

肝臓や脾臓は大きいものの、食欲はあり、テレビを見たり一人遊びをしたりするなど、普通の乳幼児のように振る舞う。義実家と実家の支えもあり、親子で花火大会に出かけたり、ハイキングに出かけたりもできた。ようやく穏やかな日常が訪れた。

<親子3人で新穂高ロープウェイへあそびに行く。
 ロープウェイにのったり クマ牧場へ行った。
 本当に今こうして茉友香と外出していることが夢のようである。>
(1988年8月27、28日)

しかし、夏が終わって肌寒い季節に変わる頃から徐々に食欲が落ちていった。便が白っぽい日も続いており、胆汁がうまく排出されていない様子でもある。あまり深刻には捉えなかったが、体調を整える意図もあって再入院を決める。

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