黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間

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<いろいろ考えました。
 でも○○先生(※筆者注:主治医)は帰れる時に帰った方がよい
 病院にいても出血するときはする。
 だめな時はだめだと言われました。
 それでも親の私からみると病院にいれば何らかの手当はしてもらえるという考えがあるからまよいました
 血液検査の結果はそれほどわるくはないけど 肝臓も状態は前回の退院時とみるとわるくなっていることはたしか。
 食道静脈瘤がいつ破れつするのだろうとおびえながら それを覚悟しても退院。
 茉友香には少しでも家庭ですごさせてやりたい。>
(1989年6月16日)

大量の吐血、弟の結婚式に出席できず

義実家に帰ると、2人目の子がずいぶん大きく育っていた。Aさんがだっこしても泣き、義母に甘える姿を見てショックを受けもした。しかし、ようやく家族全員が揃った生活を始めることができたのは確かだ。

<茉友香のやきもちにはまったくこまった。
 私が少しでも○○(※筆者注:2人目の子)をかまうとおこるし おもちゃでも茉友香のものをかしてやると とりあげたり たたいたりでもう大変。>
(1989年6月23日)

しかし、今度の退院は5カ月で終わる。11月6日、恐れていた大量出血が起きたのだ。

<昼間は本当に元気であそぶ。
 夜中突然ねていてせきこんだため だっこして背中を少したたいてやったら吐血した。
 はじめてのことで びっくりしてもう自分でどうしたのかはっきりおぼえていない。
 この日は実家の方にとまっていて 実母のところへあわててつれて行き
 服が血だらけになっていたため着がえさせた。>
(1989年11月6日)

 

吐血時の記述(筆者撮影)

朝方にも大量の下血。2時間半かかる道を「1分1秒でも早く」と願いながら、長良病院に向かう。

病院にたどり着いて一命を取り留めたものの、茉友香ちゃんは吐血と下血を繰り返している。数日後にはAさんの弟の結婚式に親子4人で出席する予定だったが、もはや望むべくもない。主治医からは「覚悟しておくように」とも言われた。

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