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黄色い涙を流す幼女を看取った母の闘病手記 胆道閉鎖症で亡くなった娘と向きった4年間

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「おうちへ帰りたい」

そう話した茉友香ちゃんはそれから意識を戻すことなく、1週間後の3月6日に亡くなった。

茉友香ちゃんが亡くなった日の日記のページをめくると、日付のない長文が書かれている。それがこのノートの最後の記述だ。

<今こうしてたった3年10ヶ月と17日の短かった茉友香の一生涯をまとめてみました
 本当に毎日毎日がCBAとの壮絶な戦いでした
 思いだすのは ただただ苦しんでいる茉友香の顔だけです
 楽しかった日の思い出なんてほとんどありません
 CBAと宣告をうけた時は大変な病気だとは知らされてましたが
 はなしに聞くのと現実はまったくちがいます
(略)
 本当に最後は医師と看護婦にかこまれ 私はただ部屋の片すみで泣いているだけでした。
 今思うと茉友香の死に対して にげていたのかもしれません
 心の中でぜったい助かると思い願いつづけながらも
 死というものをみとめたくなかった。
 もっとそばにいて最後まで手をにぎっていてやればよかった。
 後悔しています。
(略)
 現実とは本当にきびしいものです。
 でもにげることはできません
 何事も正面からぶつかっていくのです。
 何に対しても一生けん命やる。
 すべて茉友香からおしえられました。
 今私は この現実、茉友香の死から一日も早く立ちなおるようがんばっています。>

 

最後の見開き(筆者撮影)

50枚綴じのB5ノートはあと10枚ほど残されているが、すべて白紙だ。そこまでに書き込まれた40枚、80ページに3年10カ月と17日の闘いが凝縮している。

Aさんの行方を探る

このノートの記事を書くにあたってAさんに連絡をとりたいと思った。日記にはAさんの氏名はなく、ノートから情報を得ようにも、病院や実家の記述から岐阜県の南方で暮らしていることくらいしかわからない。しかも30年以上も前の記述だ。ノートを託してくれたSさんの次女も、ノート以上のことは何も知らないという。

それでもこの魂のこもった日記を「何か役に立ちたい」「皆さんで読んでもらいたい」と書き上げたAさんは、おそらく今もどこかで生活している。

長良病院が母体のひとつである長良医療センターに尋ねると、さすがに30年以上前のカルテは辿れないという。当時の主治医も姓しか記載がなかったこともあり、その後を調べることはできなかった。新聞記事や雑誌などで、当時のこの病気のエピソードを調べてもAさんや茉友香ちゃんに繋がりそうな情報は得られなかった。

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