例えば、村でいちばん腕のいい陶工が、パン職人としても村でいちばん腕がよかったとしよう。
この人物が村で2番めに腕のいい陶工よりは10倍優秀だが、村で2番めに腕のいいパン職人よりは2倍しか優秀ではない場合を想像してほしい。
そのような場合、村全体の生産量が最も増えるのは、この人物がもっぱら陶器を作ることに専念して、パンはほかのパン職人から買うときなのだ。
シルクロード交易における「比較優位」
この陶工についていえることは、国や都市や地域にも当てはまる。
古代中国では絹と金のどちらも古代ローマより安く生産できたが、例えば、絹の生産効率の高さはローマの10倍、金の生産効率の高さはわずか2倍だったとしよう。その場合、中国の立場では、絹を輸出して、金を輸入するのが理にかなっている。
シルクロード交易は相対的な優位さ(「比較優位」という)を活かしたものであり、絶対的な優位さにもとづくものではなかった。
たとえある国がすべてのものを隣国より効率よく生産できたとしても、すべてを国内で生産するより、交易をしたほうが利益は大きくなる。
ただし、砂利のように重くて価値の低いものに関しては、現代の社会でも、輸入しないほうがいい理由がある。ものの価値に比べて、輸送コストが高ければ、交易はかえって不経済になる。
車輪の発明後も、道は悪路ばかりだったので、たいていは馬や駱駝(らくだ)の背に載せて運ぶほうが荷車で運ぶよりも容易だった。
その結果、陸路の交易で商われるのは、ワインやオリーブ油、宝石、貴金属、香辛料といったものに限られていた。西暦300年頃、荷馬車1台分の小麦の値段は、輸送距離500キロで2倍になった。
(翻訳:黒輪篤嗣)
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