硬貨は小袋に入れて持ち歩くことができ、日々の買い物の支払いにとても便利だった。
拡大を続けるローマ帝国の領土には、ローマの硬貨があまねく行き渡った。人々は硬貨に刻まれた皇帝の肖像を見て初めて、新しい皇帝の即位を知るということもあった。
とはいえ、貨幣の形態は硬貨だけではない。ミクロネシアのヤップ島では、加工した石が貨幣(石貨)として使われた。この石貨の大きさはいろいろで、最大のものは直径が3.6メートルもあった。
所有者が代わっても、石貨を移動することはなかった。石貨はいつも同じ場所に置いておき、代わりに、所有者の変更が島の全員に伝えられた。
したがって、この大きな石の貨幣は商取引には不便だったが、必ずしも特殊な方法というわけではない。
現代でも、中央銀行の金庫室に金が保管されていることがある。その金は売却されても、たいていは電子台帳に変更が加えられるだけで、金塊が運び出されたりはしない。ヤップ島の人たちはこれを聞いたら、きっと自分たちのやり方と同じだと思うだろう。
石貨であれ、硬貨であれ、この時代の貨幣に共通するのは、貨幣そのものに価値があることだった。商人が約束手形を発行する例もあったが、貨幣には貴重な素材が使われていた。
それが変わったのは、西暦1000年頃、中国で世界初の紙の貨幣が発行されたときだ。その貨幣はそれ自体に価値はないが、価値を保証されている紙片だった。
交易の増大と「比較優位」
経済的な発展のもうひとつの側面は、地域間の交易の増大だ。社会内の分業化は新しい商品(服や道具など)の生産につながった。
これが次に社会間の分業化につながり、それが交易の土台になった。相対的に優れたモノやサービスを提供できれば、その社会は交易から利益を上げることができる。
なぜここで単に「優れた」といわず、「相対的に優れた」というのか、気になったかたもいるだろう。このことを説明するため、ここでまた分業化の話に戻ろう。
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