松下幸之助の成功の根源にあった独自の死生観 「命をかける」の「命」に対する見方が一般とは異なる

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幸之助は炊飯器事業部の事業部長を叱咤激励したものの、業績はなかなか好転せず、工場閉鎖を検討する話まで出る。事業部長の頬はすっかりこけ、社内では「自殺でもしかねないのでは」という心配の声まであがっていたという。

同事業部の業績不振はしばらく続いたが、やがて業界初の保温機能を搭載した自動炊飯器を開発する。改良を続けるうち評価が高まり、1960年末までに炊飯器のトップメーカーにのし上がった。幸之助は翌年1月の経営方針発表会で事業部長の努力を称える。

「この5カ年間に会社の製品の品質は非常に向上したと私は思います。他メーカーさんも向上しておりますが、松下電器も非常に向上した。具体的な1例を申しますと、炊飯器にいたしましても、最近は非常にいいものができまして、最近は全国生産のうち、ナショナル炊飯器はその50パーセントを供給するようになったという報告を坂本君(坂本達之亮氏・当時炊飯器事業部長)から私は聞きました。

3年前の姿を、私はありありと覚えております。そのときには、ともすれば、思うものができないので、坂本君は責任を痛感いたしまして、なんとかしてこれをより立派なものにしあげたいということを、神かけて念じておった姿を私は見ておるのであります。その姿の尊さに、私は頭の下がる思いをいたしたのであります」

事業部長は、幸之助が自分の名前を出して賞賛してくれたのを耳にし、ハンカチを出して泣いた。事業部長の苦しみを知る周囲の人も、もらい泣きしたという。

このエピソードは、努力は報われるという美談のようにも受け取れるが、幸之助は事業部長に対して、命をかけるほどの真剣さを求めた。そして実際、周囲から見れば命が削られているのではないかと思えるほど、事業部長は精神的重圧に苦しんだ。けれども幸之助が容易に妥協を許さなかったのは、事業を通して社会に貢献するという松下電器の使命を果たしていなかったからである。

体から血が流れっぱなしやったら、どうなる?

もう1つ、元社長の谷井昭雄氏がビデオ事業部長を務めていたときの話を紹介したい。

谷井氏は1972年に同事業部長に就任したものの、当時、ビデオテープレコーダーの市場が未成熟で発展途上のうえ、石油ショックも重なって赤字が続いていた。1970年代前半の段階では、将来への投資ともいえる事業だったので、上層部は多少の赤字には目をつぶってくれるものかと思っていると、ついに幸之助に呼び出される。

「きみ、ビデオはどうや?」と質問され、「がんばっているのですが、赤字です」と返答したところ「そうか、たいへんやな」とねぎらってくれた。ホッとするのも束の間、「きみな、赤字というのは、人間の体で言うたら、血を流してるのと一緒や。体から血が流れっぱなしやったら、どうなる? 死んでしまうわな」と言われる。

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