松下幸之助の成功の根源にあった独自の死生観 「命をかける」の「命」に対する見方が一般とは異なる
妥協を許さず、命をかけるほどの真剣さを求めた
松下幸之助の経営する松下電器の組織は製品別事業部制であり、各事業部は自主独立の精神で経営を進めることとされた(自主責任経営)。そして、トップの事業部長には、大きな権限が与えられる半面、経営の結果責任が求められた。
元社員らの証言によれば、「事業部長は2~3期連続して赤字決算経営の場合は更迭と言われて居りました」「事業部長が2年連続で赤字、営業所長なら1000万円以上の不良債権をそれぞれ出せば解任という厳しさだった」という。
このように、「赤字は罪悪」と述べていた幸之助は、事業部長の経営に対して厳しかった。「企業は社会の公器」であるという幸之助の信念に基づけば、事業によって利益を生まないことは、社会に貢献していないことに等しかったからだ。
かつて炊飯器事業部ではこんなことがあった。同事業部は1958年に電熱器事業部から独立した(炊飯器の生産開始は1950年半ばからしていた)。一事業部として独立させたゆえ、炊飯器に対する会社の期待度は高かったものの、当時、炊飯器の売れ行きは、家電製品のトップメーカーである松下電器としては、芳しくなかった。
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