0歳から89歳、47人が暮らす家に行ってみた 東京・日暮里にある「コレクティブハウス」
運営にはあまり深く入り込んでいない旦那さんであるが、お酒飲みグループに誘われたら参加しているという。ここでの生活は、もちろん苦ではなく、それなりに楽しんでいるようだ。男性は女性に比べて、人の輪に加わるのが少し苦手なところがある。雑談というのが苦手で、お酒というきっかけがあると集まりやすいのだろう。
必ず「一人ひとり」が役割を担当
「ここでは、一人ひとりが必ず係を担当しなければいけません。みんなそれぞれ特技を持っていて、たとえば夫はIT系に強いので、IT係を担当しています」
「世帯を代表してひとり」ではなく、必ず「一人ひとり」が担当する義務があるというのが、ここでの特徴だ。世帯単位ではなく、独立した個人として居住者を扱うのである。係への所属をはじめとして、月1回の定例会への参加など、ここではさまざまな義務がある。
「義務があることで、コミュニティを維持できていると感じています。あまり話すことのない人でも、係や定例会があることで、定期的に必ず会うようになって、会話をします」
旦那さんの東京での転勤が終わると、京都に戻る予定の伊藤さん家族。京都でも、コレクティブハウスに住みたいかと聞いてみた。
「私が住んでいた京都のあるエリアは、昔からの街並みが広がっていて、もともと根強いコミュニティがあります。私は鍵も閉めないですし、おかずや子供の服の分け合いが今でもあります。だから、コレクティブハウスがなくても、特に不便に感じないのではないでしょうか? 地方から出てきて、親が周りにいない人たちが集まる東京だからこそ、『かんかん森』のような場所が必要とされるのだと思います」
他者と共に暮らすという根源的なスタイル
住まいのシェアは若者の文化と考えられがちであるが、実は、「人としての根源的な暮らし」なのではないだろうか。シェア生活は、お互いを個人として尊重し合いながら、時には共に食事をして、時には共に遊ぶというものだ。でも、それは、昔は自然に実践されていたものである。
「コレクティブハウスかんかん森」の伊藤さんが地縁の代替としてコレクティブハウスを選んだように、他者と共に暮らすという根源的な暮らしが、ひとつ屋根の下で疑似的に再現されているのが、住まいのシェアなのかもしれない。
個として閉じこもって暮らすのではなく、他者と互いに依存し合ってウェットに暮らすのでもない。適度な距離感を持って共に営む、古くてどこか新しい暮らし。それが、住まいのシェアなのである。
(撮影:梅谷 秀司)
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