「島耕作」辺野古抗議活動をめぐる表現で"炎上" 岩国という「基地の街」に育った弘兼憲史がなぜ

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島耕作シリーズは1983年のスタート。課長昇進を目前に控えた係長として初登場した島耕作は、保身に汲々とする小心者で、妻子と住宅ローンを抱えて小遣いも少なく、浮気相手の女子社員にホテル代を出させるような男だった。その姿は、どこにでもいる等身大の会社員であり、だからこそ読者の共感を得たのである。

ところが、島耕作はバブル経済の拡大と歩調を合わせるかのように、ビッグな男になっていった。たまたま関係を持った女性がすごい情報網や大物へのコネを持っていたりする彼の強運ぶりはどんどんエスカレート。バブル崩壊後の1992年に課長編が終了してから部長編が本格的に連載開始されるまで7年の時が流れ、世間は大不況に陥っていたが、島耕作は“一人バブル”を続けていた。

弘兼氏のステップアップにも重なる

その後もさらに取締役、常務、専務、社長、会長、相談役と出世の階段を上り詰め、現在の社外取締役に至っては、まるで水戸のご老公のよう。その出世街道は、漫画家としての弘兼氏のステップアップにも重なるわけで、今や政財界とのパイプも太い。以前から原発PRのウェブマンガ『東田研に聞け』のキャラクターデザインや日本維新の会PRマンガ『ふたりの維新志士』の監修なども務めており、政権寄りの立場であることは明らか。経営者側になってからの島耕作の言動にも、その傾向は表れている。それゆえ、辺野古問題について前述のようなセリフが出るのも不思議はない。

しかし、若き日の弘兼氏はそうではなかった。

島耕作シリーズが始まる直前の1982年に発表された『ホットドッグララバイ』という作品がある。弘兼氏の出身地である山口県岩国市を舞台とした連作。ご承知のとおり、岩国は(規模は違うが)沖縄と同じく米軍基地のある街だ。そこに生まれ育った少年の忘れがたい体験を情趣豊かにつづる。

時代はベトナム戦争の最中。授業中も頭上を飛び交う戦闘機の爆音で先生の声が聞こえなくなることしばしばだ。税理士の父親はアメリカ人を嫌いながら、副業で「パンパン(当時の言葉で米兵相手の娼婦)」が基地の兵隊に出す手紙を英語で代書している。父や塾の先生は「基地があることがいちばんいけないことだ」と言うが、「そういう人間はこの街ではキラワレ者になる」ということを少年は知っている。

弘兼憲史『弘兼憲史短編集1 ホットドッグララバイ』(講談社漫画文庫)p6-7より

ただ、少年にとってホットドッグやコカ・コーラに象徴されるアメリカ文化は、あこがれの対象でもあった。思春期の入り口に差しかかった少年は、向かいの家のきれいなお姉さんにほのかな恋心を抱く。彼女はパンパンの母親と米兵の間に生まれた娘で、米軍キャンプのクラブでジャズを歌っている。一方、少年の姉は高校生で、英会話クラブの活動の一環として基地に出入りしているが、父は娘の「アメリカかぶれ」が気に入らない。

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