将来や夢や欲望を"語れない"のは悪いことなのか ジェーン・スー×桜林直子の「生きるヒント」

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RHYMESTER の「ONCE AGAIN」という曲の中で、宇多丸さんは「夢」というのは別名「呪い」であるとラップしています。

夢は時に自分を縛る呪いにもなりうるという意味だと、私は理解しています。負けている賭け事から降りられなくなってしまうような状態も、そのうちのひとつだと思います。

そもそも、夢がある人のほうが志が高いように見えたり、夢がないというだけで残念な人扱いを受けたりするのって変な話。

だって他人の人生じゃん。

夢に向かって努力をする人は素晴らしいし、邪魔にならない程度に応援したいけれど、そっちのほうの価値が高いとされることに、私はとても懐疑的です。なぜなら、夢トラップ(罠)があるからです。

夢に向かって頑張っています!

「夢に向かって頑張っています!」

そう言うだけで、周囲から素晴らしいと賞賛されるでしょう? ときに、人はその状態に酔ってしまうんだな。叶えたいという主体性よりも、周囲からどう見られるかに意識がいってしまう。

また、「夢がある!」という状態は居心地がいいので、そのままモラトリアムに突入してしまうこともある。

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で、具体的に何をしているの? と行動を見てみると、特に何もしていないというか、まあ「夢に向かって頑張ってる」って言いたいだけでしょ、それ。みたいなことがないとは言えない。恐ろしいのは、自分ではそこに気づきづらいことです。

夢があることを公言すること自体はなんら問題がないと思います。

でも、そこに他者の目(周りからどう見られるか)を介在させてしまうと、本当はそんなにやりたくなかったとあとから気づいても「夢、追いかけるのやーめた!」と言うのに勇気が必要になってしまう。

自分と夢が一対一の関係にあれば、それを持ち続けるも手放すも自分次第なのだけれど、夢があると言ってしまった手前あとに引けない状況に陥ってしまうと、夢は呪い。

夢は小さく分解して「目標」くらいにしておくのが、夢のトラップにハマらない秘策だと思います。分解したほうが、欲望はハッキリしてくるから。夢なんかあってもなくてもいいし、でも自分の欲望は「やりたくないこと」を含めてわかっていたほうがいいし、でも「やりたくないこと」もたまに棚卸ししてトライしてみる。

そういう微調整が生きやすさにつながってくると私は思うのです。

ジェーン・スー 作詞家、コラムニスト

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じぇーん・すー / Jane Su

1973年、東京生まれ。コラムニスト。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」、ポッドキャスト番組「ジェーン・スーと堀井美香の『OVER THE SUN』」のパーソナリティとして活躍中。著書に『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(第31回講談社エッセイ賞受賞)、『生きるとか死ぬとか父親とか』『おつかれ、今日の私。』『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』などがある。

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桜林 直子 作家

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さくらばやし なおこ / Naoko Sakurabayashi

1978年、東京生まれ。洋菓子業界で12年の会社員を経て2011年に独立。クッキーショップ「SAC about cookies」を開店(現在はオンライン販売のみ)。noteで発表したエッセイが注目を集め、ドキュメント番組『セブンルール』に出演。20年より「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰。著書に『世界は夢組と叶え組でできている』がある。

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