「何もわからなくて、現代文も古文も英語もすべて適当に読んでいる感じでした。現役のときは早稲田の商学部・教育学部・文化構想学部を受けたのですが、受かるはずがなかったですね。それ以外に地元の大学を2つ受けて、どちらも受かったのですが、どうしても早稲田に行きたかったので浪人しました」
成績が上がらないことから、12月ごろには浪人を覚悟していた川岸さん。
いざ、浪人を決断した理由は、「応援部の先輩と一緒に応援したいという気持ち」と、「甲子園や早慶戦で見た早稲田の雰囲気が忘れられないこと」が大きかったようです。
「ほかの大学のオープンキャンパスにも行ってみたのですが、早稲田ほどの母校愛を感じることはありませんでした。みんな頭がいい人なのに、バカなことを全力でやっているのが素敵だなと思ったのです」
こうして浪人を決意した川岸さんですが、母親からの「東京で浪人をしたほうがいいのではないか」という提案を受け、高田馬場にある早稲田予備校に通うことを決めます。
西早稲田にある家賃4万円のアパートに下宿しながら予備校に通った川岸さんは、平日の授業がある日で2~3時間だった前年度よりも大幅に勉強時間を増やし、1日12~13時間の勉強を続けます。
そこで「ようやく基礎がついてきた」と語るように、この年最初の河合塾全統模試で40だった偏差値は、夏には50、10月には55を記録しました。
11月に勉強のペースがガクッと落ちた
しかし、順調に成績を伸ばしていた川岸さんでしたが、11月にその勉強のペースがガクッと落ちます。
「11月まで基礎を固めて、ようやく過去問を解き始めたのですが、まったく解けなかったんです。難しすぎて、もう早稲田に受かるのは無理なんじゃないかと心が折れかけてしまい、12月以降は勉強時間が5〜6時間くらいになりました」
万全の状態でないまま本番を迎えたものの、この年も川岸さんは早稲田一本。教育学部、商学部、文学部、文化構想学部、人間科学部の5学部に出願して、全落ちしました。
「『2浪してしまうかもしれない』とは思っていました。でも、当時は(自分自身が)尖っていたのもあって、絶対早稲田しか行きたくなかったんです」
さらにこの年、1歳年下の妹が早稲田大学の政治経済学部に合格。川岸さんより先に、早稲田生として生活を送ることが決定したのです。
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