2浪早稲田「妹に進学を先越された」彼が抱く絶望 それでも応援部に憧れ、早稲田に挑戦する日々

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川岸さんは、三重県・多気郡多気町で生まれ、土木系のエンジニアの父親、看護師の母親と、母方の祖父母、1歳下、6歳下の妹たちとの7人家族で暮らしていました。

中学までの川岸さんは野球少年。書道教室や、水泳教室、塾などにも通っていましたが、1歳下の優秀な妹と比較されることもあったそうです。

「小学校に入ってからの成績は40人中20位くらいで、中学校に入ってからもずっと同じような感じでした。最初の1年は親も『こんなものだろう』と思っていたそうですが、妹が1年遅れて小学校に入ったら、オール5ばかりで、成績があまりにもよくて衝撃を受けたそうです。私は妹と成績を比較されることが嫌だったので、当時はあまり仲良くありませんでした」

中学校に入ってからも、小学校から変わらない顔ぶれの同級生たち40人とともに学び、野球の練習の日々を過ごした川岸さんは、高校受験で地元屈指の進学校、松阪高等学校に行きたいと考え始めます。

行きたかった高校に妹が進学

「松阪高校に入りたくて、塾に入って勉強をしていたのですが、いけるかどうかギリギリだったので、三重高等学校の普通科特進コースを受験して、そこに進学しました」

すると翌年、川岸さんの妹は、川岸さんが行きたかった松阪高校に進学します。高校生になっても、妹に対する複雑な感情を拭いきることはできませんでした。

一方で川岸さん自身は、高校に入ってから野球をやめ、応援部に入ります。

「野球は大好きでしたが、高校では新しいことを始めようと思いました。ただ、ほかの部活なども見ましたが、しっくりくるものがありませんでした。どうせやるなら一生懸命打ち込めるものにしたいと思い、いろいろ迷っていたのですが、応援部の顧問だった担任の先生の勧めもあり、好きな野球に関われるからいいかな、と思って応援部に入部しました」

高校1〜2年生のときは、授業が終わった夕方から部活動に出て、20時〜21時に家に帰宅する生活で「応援部をしていること以外は普通の高校生だと思います」と当時の生活を語る川岸さん。

また、川岸さんは高校に入るまでは特に夢はなく、看護師だった母親の影響もあり「将来は医者になる」と周囲の大人に話していましたが、理系科目が得意ではなかったため、理系の進路は難しいとも、薄々感じていたそうです。

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