「夢なんかなくていい」中学生に諭した禅僧の真意 「実現したい自分」は、じつは非常にあいまい

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それから話したことをかいつまんで言うと、次のようなものです。

ほかの大人は君たちに夢や希望を持てと言うかもしれない。もちろん、夢や希望どおりに生きられた人間は、けっこうな人生を送れたのだからすばらしい。拍手を送ろう。

しかし、私が今まで生きてわかったことがある。それは、人生では夢が叶わなかったり、希望どおりにいかなかったりすることのほうがずっと多いということだ。現実では、ほとんどの人間は夢破れる。

でも、心配するな。夢が破れても人は生きていくことができる。そのほうがもっと大事なことだ。

その証拠にまわりを見てみるといい。先生や君たちの親が、子どもの頃の夢を叶えて、理想の人生を生きているか? 畑仕事したり、公園のベンチに座ったりしているおじいちゃんやおばあちゃんに、いまさら夢や希望が要ると思うか? そんなものを叶えていなくても、みんな十分元気で生きているだろう

だから、夢や希望なんて持たなくても大丈夫。なんの問題もないから、安心していいのだ。

未来ある中学生に、身もフタもないことを言っていると思うかもしれません。しかし、彼らは明らかに話に食いついてきました。つまり、リアルな話だったのです。

夢や希望を持つことが、必ずしも悪いわけではない

夢や希望を持つことが、必ずしも悪いと言っているわけではありません。ただ、持たなくても一向にかまわないと言っているのです。

現代で言う「夢」とは、多くの場合「職業」を指しているにすぎません。ほとんどの人にとって、夢とは「なりたい職業」であり、その職業をとおして自己実現したいのでしょう。しかし、その実現したい自分そのものが、じつは非常にあいまいな存在にすぎません。

職業を考えるときにもっとも大切なのは、「人の役に立ってお金をもらうこと」です。仕事は、自分の夢のためにあるわけではありません。

そこをはき違えていると、人は夢や希望に振りまわされてしまうのです。
私が本当に偉いと思うのは、夢や希望を叶えて生きる人ではありません。夢に破れても生きていく人です。「この目標を叶えたい」という願いが叶わなくても、しぶとく生きていく人です。

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