自民党「空騒ぎ総裁選」で最後に笑うのは誰か? 「政治に期待できない」空気感がより強まる懸念も

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ポピュリズムには2つの定義がある。1つ目は「固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイル」で、2つ目は「『人民』の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動」だ(水島治郎『ポピュリズムとは何か』中公新書)。

れいわ新選組やNHKから国民を守る党、参政党といった政党は後者に当てはまる。具体的には、自らが「人民」を直接代表すると主張して正統化し、広く支持の獲得を試みる、「人民」重視の裏返しとしてのエリート批判、「カリスマ的リーダー」の存在、イデオロギーにおける「薄さ」にある(同上)。

石丸氏は、6月に行われた都知事選立候補者の共同記者会見の場で、「政治屋の一掃」と書かれたボードを掲げた。その真意について「私の政策、のさらに上にある掛け声です」と説明したうえで、「仕事をするふりをして、一向に成果を上げない。そんな政治屋を一掃したいと、これまでずっと考えてきました。恥を知れ恥を。これが国民の思いだと思っています」などと発言した。

ここには、自らが「人民」を直接代表する姿勢が明確に示されているほか、「政治屋の一掃」には、「人民」重視の裏返しとしてのエリート批判がうかがえる。

野党を含む既存の政党が国民にとって、自分たちの意思を蔑ろにしている存在でしかないならば、オルタナティブ(代替物)が志向されるのは論を俟たない。

立憲民主党の新代表が元首相の野田佳彦氏に決まったことで、前政権時代に消費増税を強行したことなどが改めて論評され、政権交代に対する警戒感すら漂っている。とりわけ増税や物価高で不安と不満のスパイラルに陥っている多数の国民の現状を踏まえると、ポピュリズム的な熱狂の引火性が高い状態にあるといえる。

神学者の森本あんりは、『異端の時代 正統のかたちを求めて』(岩波新書)で、「ポピュリズムのもつ熱情は、本質的には宗教的な熱情と同根である」と述べた。

かつてであれば社会的な課題を解決したいと思った人々は、既存の政治団体や宗教団体を通じて何らかの変革を模索したが、このような中間集団がその機能を担うことが困難になったことが問題の根本にある。そのため、ポピュリズムは「宗教なき時代に興隆する代替宗教の一様態」になっているのである。

「善と悪の闘争」という物語をその中心に据える危うさ

しかも、ポピュリズムは、善と悪の闘争という物語をその中心に据えている。旧世代と新世代、エリートと庶民、金やスキャンダルにクリーンな人間と汚れている人間……わたしたちは明快で単純な物語に感情をあおられ、「悪」とみなした人々を徹底的に糾弾することに血道を上げかねない。

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