なぜなら、闘争には、自分のアイデンティティを正当化する面があるからだ。現在の自分がおかれた境遇を打開してくれそうな、あるいは既得権益にまみれた既存の社会を破壊してくれる政治家を待望するのである。
当然ながらその政治家が主導権を握ったからといって思った通りになるかどうかはまったく別の話だ。けれども、自分のお好みの物語への書き換えを無意識にしてしまうわたしたちは、残念ながらこのような闘争になびく性質を少なからず持っている。
誰もが誘惑を自覚する必要がある
前出のゴットシャルが、「私が『物語の語り手(ストーリーテラー)を絶対に信用するな』と声を大にして訴えたとき、私はあなたに呼びかけていただけではない。あなたのことを言っていたのだ。私たちは皆ストーリーテラーであり、だから信用してはいけない――誰よりも私たち自身が」と主張したように、物語を語る側でもあるわたしたち一人ひとりがその誘惑を自覚する必要があるのだろう。
聞こえの良いフレーズや、民意を無視した公約、要領を得ない発言などが躍る自民党の「空騒ぎ総裁選」。最後に笑うのはいったい誰だろうか? もちろん、その人物は自民党の候補者ですらないかもしれない。ひょっとしてこれは新たな悪夢の始まりにすぎないのだろうか?
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