稲田さんの“人生後半戦”は70歳から、トライアスロンとともに始まった。「パパ、がんばって」と背中を押してくれた妻のお骨は、一緒にいる時間を取り返すように8年間、自宅で保管した後、納骨した。
バイクの練習がてら、毎週、妻のお墓に立ち寄って話しかける。トレーニング日誌の練習ルートには、「ママの墓」と記録する。
“人生後半戦”を生き抜く戦略
世界最高齢のアイアンマンとして、世界中に名を轟かせる稲田さんだが、実は「運動の才能にはあまり恵まれていなかった」と苦笑いする。
戦時下だった小学校時代から運動は得意なほうではなかった。
「体操の時間は運動競技というものはなく、すべて軍事訓練。荷物を背中に背負って延々と歩き続ける行軍や、手榴弾のような形をした鉄の塊を投げる投てきの練習ばっかり」
戦時中の反動か、中学校以降はさまざまなスポーツに手を出す。キャプテンに憧れて体操部に入部。鉄棒の大車輪に失敗して砂場に落下後、即退部して陸上部へ。
100m走の補欠が続き、野球部にも所属。投てきでならした肩が活きて、たった一人のピッチャーに抜擢されるも、とある対抗試合で打たれに打たれて、記録的惨敗を喫する。
「あまりにみっともなくて」と大会後に退部。高校では卓球、サッカー、テニスに飛びつくが、長続きしない。
そんな稲田さんは大学時代に登山に出会う。重い荷物を背負って、山道を長い時間、黙々と歩き続ける。これがはまった。
「これまでの運動の歴史を振り返ると、僕は瞬発力や敏捷性が必要なものはどうもダメ。でも登山は長くしぶとくゆっくりと動き続けることが肝要で、せっかちな僕なのにこれがストンと腑に落ちたんです」
長くしぶとくゆっくりと動き続けるーー。老化が進み、気力も体力も衰えていく人生の後半戦をどう生きるか。稲田さんの戦略はこれである。
「夢中になれるものを見つけたら、自分のペースでやってみる。継続できたら、それが進化なんです。僕は老化の先に自分の進化を見つけると、すごくうれしくて、『俺は生きているぞ〜!』と叫んじゃう。誰もいないところでですよ、もちろん(笑)」
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