自宅介護が始まった頃は比較的病状が安定していて、稲田さんは運動不足を解消するため、近所のスポーツジムに泳ぎにいく余裕もあったし、妻が寝ているときは自室で趣味のギターの弾き語りをするひとときもあった。
「あるとき、妻に『パパ、あの歌はうまいわね』とほめられたこともありました。寝ていると思っていたら、聞こえていたんですね。妻の前では歌ったことは一度もありませんよ。だって、恥ずかしいじゃない(笑)」
しかし、徐々に妻の血小板の数値が下がり続け、帯状疱疹を発症する。
自宅のベッドで皮膚が焼けるような痛みに苦しむ妻を見ながら、稲田さんは無力感に苛まれるようになっていく。痛みを代わってあげられない。どのくらいの痛みなのか、感じることもできない。「痛がっていてかわいそうだ」と思うことしかできない……。
やがて、病状が悪化して自宅療養から入院になると、稲田さんは持て余すほどの時間ができた。一人でいると、どんどん気持ちがつらくなっていく。
「結婚生活を振り返って、毎晩帰りが遅かったり、単身赴任で8年間も放っておいたりして、あんまり一緒にいてあげられなかったことをものすごく後悔しているんです。結婚するとき、妻と妻の両親に『絶対に幸せにします』と約束したのに、はたしてそれを守れただろうかって……」
遠い日の誓いが胸に突き刺さった。
「ひとりの老後」を支えるもの
このつらい時間を埋めてくれたのが、やがてトライアスロンデビューにつながるアクアスロン(※スイムとランだけ)レースと、大学時代から続けている登山だった。
「山に助けられました。僕は自然の中にいるのが好きで、山道を無心で登っていくうちに悩みや不安から解放されて、気持ちが癒やされていくんです。なるようにしかならない。できることをがんばろうと前向きになれました」
人生のセカンドステージは既婚・独身に関係なく、「ひとりの老後」に向かっていく日々である。そこにはやはり、夢中になれる何か、趣味があるほうがいいと稲田さんは言う。
現役時代は「仕事一筋」「仕事が趣味」という選択でも構わない。稲田さん自身も仕事人間だった。だが妻の発症、介護、看取りという苦行の年月を自分らしく切り抜けてこられたのは、趣味の登山やトライアスロンのおかげだった。
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