1990年代になると、今度は「お受験ブーム」が到来。教育機関がどんどん増えていき、「いい学校に入ってほしい」という親の願いから、子どもたちはひたすら勉強に打ち込むようになります。2000年代初頭には、都心部を中心に幼稚園や小学校から子どもを受験させる家庭が増えるようになりました。
お金がある家庭は、受験をさせていい学校に行かせようとする一方、金銭的に余裕がない家庭は受験すら難しい。場合によっては校内暴力が蔓延しているような学校に行かせざるをえないケースもあります。
かつてはオンライン授業もなく、学校に行くのが当たり前だった時代。目に見える校内暴力が問題となり、先にも述べたようにドラマの題材として扱われることもありました。
一方で現代社会では、詰め込み型教育は見直されつつあるものの、教育を巡る問題はより複雑さを極めています。
中山先生は「今は教育観やツール・システムも多様化・複雑化しています。『学力が上がる』ことだけが教育の目的という考えではなく、協調性や忍耐力、自制心などの『非認知能力』も求められる時代になってきています。
1つの指標で完結するのではなく、人間力も上げなければならない。そうすると、学校の先生にかかる負担はとても大きいものになっていきます。学力だけではない、いろんなことを求められるようになって、教育現場は困惑しています」と語ります。
一筋縄ではいかない学校運営
実際に中山先生が訪れた、とある県の「教育困難校」ともいえる小学校は、一筋縄ではいかない状況に置かれていました。
「SNSの登場によって、先生の目に見える外側のいじめに加えて、目に見えない内部のいじめなども問題視されるようになりました。また、そうしたところから情報を得ているからか、子どもたちが発する言葉に対しても、叱って終わりにできないものも多いです。
現在訪問している小学校は、学年によって授業態度にばらつきがありますが、ある高学年のクラスでは、30人のうち6人がつねに授業で立ち歩いて、進行を妨害しています。『座ろうよ!』と先生が肩に手を触れた瞬間、『あっ!ハラスメント!ハラスメント!教育委員会!教育委員会!』と子どもに言われてしまうのです。この言葉は、おそらく外部から情報を得ているからこそ発生しているものでしょう」
問題が起きるクラスがある一方、中山先生はクラス運営がうまくいく学校をどう分析しているのでしょうか。先生によると「授業のデザインがいいか悪いか」がカギになっているそうです。
「いい先生の授業は、集中できていない子のために授業の導入に力を入れています。たとえば、理科の授業で生物を教えるときに、生き物を教師が捕まえてきて『ちょっとこれ見て!』って実物を見せるだけで子どもたちは『エッ!なにそれ!』と食いつくんです。
一方で、悪い先生の授業は教科書どおりで一方通行の授業になってしまっています。このタイプは真面目な人が多い側面もあります。また、自分もこの方法でできたから、子どもたちだってできるだろうと考えてしまいがちです。服を選ぶときにその子の適性や好みにあった服があるはずなのに、無理やり大量販売されている服を着せようとしているのと同じです」
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