「やばい」以外の"自分の言葉"で「推し」を語るコツ 自分の「好き」を言語化するために重要なことは

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じつは私も同じで、すぐには言葉がでてきません。「推しの素晴らしさを伝える文章」を書きたいと思うとき、大抵まずは頭の中がわーっと騒がしくなっています。

推しの魅力とか、簡単に言葉にできない。「最高だった」「やばかった」「すごかった」しか浮かばない。「推しを見て感動した」、その先が言語化できない。

「推し」の有無(世代比較)
Z世代の6割、X世代(43歳)以上も4人に1人は「推し」がいる時代(出所:ビデオリサーチひと研究所 推し活調査2024年2月 「推し」の有無(世代比較))

でも、私はその状態が悪いことだとはまったく思いません。なぜなら、感動が脳内ですぐに言語に変換されないのは当たり前のことなんです。

だって、感動とは言葉にならない感情のことを指すから。

昔の人も「やばい!」を使っていた!

古語に「あはれなり」という言葉があります。

これって「なんか胸がじーんとする」「グッとくる」「うわあっって言いたくなる」といった感覚をひと言でまとめた語彙なんですよね。

胸になにかがグッと飛び込んでくる。そして、感情がぶわっとあふれる。あふれた感情はプラスの場合(=いいものだと思う)も、マイナスの場合(=悲しいものだと思う)もどちらもある。

良くも悪くも、感情が振り切れる体験──それが古語の「あはれなり」です。昔の人は、よくこんな便利な言葉をつくったものですよね。

しかし、現代語には「あはれなり」に代わる語彙がない。

感動したとか、感激したとか、そういった言葉が一番近いですが「あはれなり」が指す感情すべてを包括する語彙はありません。だから私たちは、「あはれなり」の現代語バージョンとして、「やばい」という言葉をいつのまにか発明したのでしょう。

「やばい」って、それがプラスの感情だろうとマイナスの感情だろうと、どちらかに指標が振り切れているといった意味ですよね。

いいときもよくないときも、なにか自分の感情が大きく動くような事態に対して、私たちは「やばい」を使う。あれは古語の「あはれなり」とまったく同じ意味なんです。

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