登山・ボクシングと「3足のわらじ」履く医師の矜持 中東やアフリカの紛争地で外科医として活動

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後期研修では、 高度な手術で定評のある仙台厚生病院で外科医のスキルを磨いた。 専門は執刀する機会が多いという理由で消化器外科を選ぶ。実際、難易度の高い手術も含め、年間130件程度執刀していたという。

就職先の熊本赤十字病院の国際医療救援部では、2年間にわたり消化器外科以外の診療科――整形外科や産婦人科、心臓血管外科などで臨床経験を積む。MSFの活動地では、お産の際の帝王切開や火傷や銃創などの手術もあり、 整形外科の技術も求められるからだ。

そして医師8年目の2015年。選考試験を経て、MSFで外科医として活動を始める。

トラックの荷台で運ばれる負傷者

これまで赴いた活動地は、10回とも中東とアフリカの紛争下にある国々。池田さんら外科医は、主に戦闘で負傷した人たちを治療する活動を行う。

今年7月、池田さんは10回目の派遣から帰国した。活動したのはスーダンと南スーダンが領有権を争うアビエイという地域。前年の4月にスーダンで内戦が始まると、多くの負傷者が運び込まれた。

患者の多くは銃で撃たれた人で、トラックの荷台に載せられて一気にやってくる。池田さんは言う。

「病院にたどり着く人はだいたい助かる。『ナチュラルトリアージ』といって、人はすでに撃たれたときにふるいにかけられている。例えば、心臓や大動脈を撃たれた人は即死するので、病院にたどり着かない」

国境なき医師団
アビエイで共に働いた助産師と池田さん。自らも難民キャンプで育った。夢をあきらめず、時間をかけて助産師となった=2024年7月 (写真:©MSF)

印象に残っているのは、初めて派遣されたイエメンだという。

当時は空路が使えず、ジブチ共和国からイエメン第2の都市であるアデンまで、漁船のような船で12時間かけて向かった。いよいよ上陸するというときのことだった。銃を持った兵士がやってきて、緊張感が走った。

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