19浪目、山田さんは2004年に受けたセンター試験で自身最高の770/900点を叩き出しました。この年も前期日程で東大を受験しますが、受験生活20年目にして初めて、後期で九州大学工学部電気情報工学科に出願しました。その理由は、自身ではなく、家族の状況の変化が大きかったようです。
「母親がもう高齢になっていて、19浪目の年に病気になってしまいました。それで、この年でもうそろそろ大学に入らないといけないと思い、初めて後期日程で出願しました。東大はこの年も不合格でしたが、九州大学には合格したので入学することを決めました」
20年間、受験生活を続けてきて初めて掴んだ大学の合格。喜びもひとしおかと思いきや、感動はなく、「ようやく区切りがついたか」という感じだったようです。
1浪〜19浪までずっと亀戸の4畳半の物件に住み続けた山田さん。彼は今、自身が大学に落ち続けた理由を「勉強が足りなかった」と振り返ります。
「東大に合格するための学力が足りなかったのは、勉強量が足りなかったことに尽きます。アルバイトをしながらの勉強だったので、毎年、センター試験の直前になると、夏休みの宿題を最後にやるように、慌てて勉強していました。でも、根を詰めてやらなかったからこそ、一回も勉強が嫌いにならなかった、というのはあると思います」
19歳年下の同級生と寮で過ごす
九州大学に入ってからの山田さんは、金銭面の節約のために、家賃月5000円の田島寮に入り、19歳下の同級生と大学生活を過ごしました。
「新入生なのに、入ったときから最上級生扱いをしてもらって肩身が狭かった」と語る一方で、親子ほど年の離れた学生との共同生活は「めちゃくちゃ楽しかった」と振り返ります。
充実する大学生活の中で、山田さんは大学1年生のころから集団授業の塾でアルバイトをするようになり、2年の留年を経て卒業してからも合計13年間、非常勤講師として勤務しました。
そして介護を続けてきた母親が亡くなった51歳のタイミングで1年間、カナダに留学をし、日本に戻ってきた現在は高校生相手に塾で指導をしています。
山田さんは浪人したことによって、精神面や性格面で「変わったことは特にない」とは語りますが、浪人してよかったことについては「どんなに失敗しても、立ち上がれることを生徒たちに伝えられること」と話してくれました。
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