「19浪で九州大」心病まずに挑戦し続けられた理由 共通一次とセンター20回挑戦、学費工面の日々

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山田さんは1966年、鹿児島県鹿児島市生まれ。10歳で父親が亡くなってからは母子家庭で育ちました。小さいころの山田さんは、活発で、人と話すのが好きな子どもだったようです。

「至って普通だったと思います。遊ぶことが大好きで、勉強はほぼしない子どもでしたね」

小学校・中学校時代前半の成績は中の中くらいでしたが、中学2年から塾に通い始めると、急激に成績が伸び始めました。

ここで「勉強の楽しさに目覚めた」山田さんは、地元の進学校である鹿児島中央高等学校に進学します。しかし、優秀な人たちが多く通う高校だったため、進学してからの成績は中の下で推移しました。

「高校では柔道部に入って部活を頑張っていました。でも成績はよくありませんでしたね。英語だけは得意で平均くらいの成績はありましたが、模試の偏差値は50もいかず、どこの大学もいちばん下のE判定だったと思います」

性格的にもマイペースで、授業を除く勉強時間は1日1~2時間程度だったと語る山田さん。志望校は、「国公立に進めたらラッキー」と考えて、地元の鹿児島大学を目指していました。

しかし、センター試験の前身である共通一次試験の得点は630/1000点程度。鹿児島大学の農学部畜産学科を受けたものの、落ちてしまいました。

家賃1万5000円の4畳半アパートに住む

現役時は鹿児島大学一本の受験だったため、山田さんは不合格通知を受け取ってから浪人を決断します。その理由については「大学に行きたいという夢はあったため」と語ってくれました。

「兄が東京にいる関係で、地元の予備校よりも、都内の大きな予備校に入りたいと考えた」山田さんは、上京して代々木ゼミナールに入ります。

しかし、この環境の変化が、彼の浪人生活を長引かせる要因となってしまいました。

「亀戸にある、4畳半で家賃1万5000円のアパートに住むようになりました。元々のんびり屋さんだったのですが、東京に出てきて、都会の華やかさに流されてしまいました。現役のときよりは勉強時間は増えて1日2~3時間くらいはしていたはずですが、遊んでしまった時間のほうが長いです」

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