生成AI「使い手」の能力で大きな差が生まれる必然 AIで「人間は何もしなくていい」はあり得ない

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これらに加えて、より原理的な問題がある。それは、周りの誰しもが同じ生成AIを使っている限り、そこから生まれ出る差は「使い手」である人間のほうで決まってしまうということだ。

AIの使い手によって差が出る
(出所:『シン・ロジカルシンキング』)

同じラケットを使っていても、一般人とプロテニスプレイヤーでは雲泥の差がつくようなものだ。

差別化の源泉は生成AIを使いこなす人間の側にあり、だからこそ人間はもう何もしなくていい、ということは原理的にあり得ない。

「問い」はなぜ重要なのか

かつてアインシュタインは、「問い」について次の言葉を遺した。

「もしわたしがある問題を解決するのに1時間を与えられ、それが人生が変わるような大問題だとすると、そのうち55分は自分が正しい問いに答えているかどうかを確認することに費やすだろう」

問いはなぜこれほどに重要なのだろうか? それは、問いとは考えることそのものだからだ。

問いの質が優れていれば思考の質は自ずと高まる。問いの質が劣るなら思考の質も落ち、そこから生まれる知的成果も陳腐になる。

問いを立てられないことは、うまく考えられないことと同じと言っていい。問いが、思考を決める。思考の原点としての、問い。

日本の教育では、残念ながらこの点があまりに軽視されてきた。いま、僕らは考える力を高めようとしている。だからこそ徹底して、考えることの原点である「問い」にこだわりたい。

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