生成AI「使い手」の能力で大きな差が生まれる必然 AIで「人間は何もしなくていい」はあり得ない
「こんなことを聞いたらバカだと思われるんじゃないか」
「当たり前に知っているべきことだったら恥ずかしい」
「質問したら自分に知識がないことをさらけ出してしまう気がする」
「くだらない質問だからやめておこう」
「質問したら、それを攻撃や批判と受け止められるかもしれない」
そもそも僕らは、「問いを立てる」ことに慣れていない。僕らが慣れているのは、試験問題のように「与えられた問いに答える」ことだ。
「作者の主張は何か?」「登場人物の心理は?」「この方程式の解は?」「この英文の意味は?」。無数の問いを浴びせかけられ、答えられなければ劣等生とみなされる。そうして、問いはある種の脅威として僕らの心象にネガティブな形で残る。
そうした問いに対するネガティブな心象が、社会に出た後のビジネスの場にも引きずられていく。
「仕事は言われたことをしっかりやればよい」「問うことは相手に楯突くことであって、組織の規律や調和を乱す行為である」。学校教育の延長から、そんな誤解が残ったままになる。
「問い」は価値を生み出すための原石
問いに対するこのようなネガティブな認識は、何よりも転換しなければならない。
問いは、決して攻撃的行為でもなければ、調和を乱す行為でもない。問いとは思考そのものであり、価値を生み出すための原石だ。
問いによって僕らは新しいことに気づき、理解を深め、未知への想像を描き、新たな価値を生み出すことができる。問いがなければ、これらがすべて失われる。
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