赤坂真理さん独白「生きるのにお酒が必要だった」 わたしは依存症ではなくアディクション当事者
依存症とアディクション
わたしにはなぜかアディクション─世の人が「依存症」として問題にするもの─が、人間の心の秘密やメカニズム、根源的な苦しみにかかわることのように思えていた。
むかしからそんなふうに思っていた。二十数年も前、実家にいながら親とも口をきかずに一人の部屋でお酒を飲んで、気持ちの緊張やいたたまれなさがそのときだけ緩まり、空気もぬるくなって、わたしはやわらいだ気持ちになれた。当時の飲酒を思い出すときはいつも、肌はぬるい空気をまとっている。翌朝二日酔いになろうが、今は気持ちがいい。それだけでよかった。
わたしは誰の助けもいらないと拒否しているようでいて、落ちてくる甘いしずくに向けて口を開け、彼らの言葉を待っていた。彼ら。まだ時間で課金されていたころのインターネットでわたしが読んでいたのはアディクト、いわゆる依存症者たちの言葉だった。いつもできたての彼らの言葉が、わたしの数少ない好物だったのだ。



















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