赤坂真理さん独白「生きるのにお酒が必要だった」 わたしは依存症ではなくアディクション当事者

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彼らの言葉が、わたしが感じる、数少ないリアルなものだった。他はみな、どこかとりつくろっているように感じられたものだ。自分自身も含めて。他のところでは失敗のことは語られなかったし、心の弱さのことも恥ずかしい体験も語られなかったし、語れなかった。自分が自分を裏切ってしまうことも、そうしてお酒や薬や眠りに逃げ込んでいくことも。

外で他人と居ていたたまれなくなると─わたしは疎外感を強く感じるタチなのだが─一刻も早く家に帰って一人でお酒を飲みたいと思うことがあった。あるいは、早く家に帰って一人の部屋で泣きたい、と思うようなことが。人といてもそのことばかり考えた。人と一緒の仕事中にも考えた。帰り道にお酒を買って帰宅し、深夜にお酒が足りなくなるとふらふらコンビニに買い足しに行ったりした。

「依存症」では言い切れない感覚

わたしは生きるのにお酒を必要としていた。あるいはなんらかの神経をなだめてくれるものを。気分を大きくさせてくれるものを。お酒はおいしいと同時に、生きる方法だった。

それでも自分は依存症の人とはちがうと思っていたのは、致命的な失敗がなかったということに尽きるだろう。一般的な二日酔いや、許容範囲の遅刻欠席などで済んでいた。しかしわたしは問題や心の痛みを抱えていたのであり、それはお酒でも癒えなかった。ごくわずかな時間、なだめられるだけだった。それが醒める時間はみじめだった。

あるときから自然とあまりお酒を飲まなくなったのも、依存症とは思わなかった一因だろう。三十代半ばごろからだろうか。もともとがお酒が強いほうではなかったからかもしれない。

しかし酒量が適度になって、何かが「治った」のかと言えば、そうではない。生き方には問題があり続けた。今思うと、そうとしか言いようがない。関係性がことごとく恋愛じみたり(同性とでもそうだったと思うし、もっと言えば女友達があまりいないのが問題だった)、人間関係も同じようなポイントで切れてしまっていた。同じところでフリーズするように、同じ失敗パターンを何度も繰り返していた。

こちらのほうがお酒より損害があったし、人に迷惑もかけたと思う。手の込んだ自傷のようなものも続いたし、危険なことをしてはそれをくぐり抜けて安堵する、といったこともやめられなかった。

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