「エンジニア冒険家」という新しい生き方 「旅」と「仕事」を両立させることは可能だ
仕事漬けの日々を何とかしたい。時には旅に出たり、好きなことに思いきり時間を使いたい、と思いながら無理と諦めてはいないだろうか?
そんなアナタにぜひ参考にしてほしいのが、「数カ月仕事をしたら数カ月旅をする」スタイルを実践する、高橋有希氏の生き方だ。
高橋氏の経歴は異色だ。1979年アメリカ生まれの36歳。カリフォルニア大学バークレイ校で物理学の博士号取得→米宇宙企業スペースX社で電子機器エンジニア→旅→プラネットラブズ(超小型衛星ベンチャー)で地上局建設→南極越冬隊で通信技術士→旅→南米チリで望遠鏡運用→旅→グリーンランドで科学技術者。
それぞれの職場もかなり特殊である。最初の2社は「宇宙企業」。その後は南極やグリーンランドのような「極限環境」。なぜか?
「宇宙に行きたい」という明確な目標
高橋氏は12歳ごろから「宇宙に行きたい」という明確な目標を持っていた。自分も含めてできるだけ多くの人を宇宙に運ぶ民間宇宙船を開発したいと考え、宇宙企業に。その一方で、地球上でできるだけ宇宙に近い厳しい環境に身を置けば、「宇宙飛行の模擬訓練」にもなると考え、極限環境での仕事をあえて経験しているという。
仕事で稼いだら旅。旅はヒッチハイクが多く、南米では2日間で80km歩いたこともあった。
高橋氏の経歴で目を引くのが、名門カリフォルニア大学バークレイ校の「博士号」。博士だからどこでも働ける? と思いきや、「あまり関係ない」と高橋氏。実際、これまでの職場に博士はほとんどいなかった。
「博士号を取ると、教授など研究職に進むのが王道です。でも僕は1日中PCに向かってデータを解析し、論文を書くような『学術的な作業』に向いてないことが分かった。その一方で、大学院時代に南極点で望遠鏡建設に関わって自分の手でモノを作り、外で作業をするのが好きと気付いたんですね。その方が、生きている感じがするんです」
そこで高橋氏は「王道」からあえて脇道に出る。
最初に入社したのはスペースX。スペースXと言えば「宇宙開発=国家プロジェクト」という常識を覆し、民間による宇宙開発が可能であることを示した革命児として、世界の注目を集める企業だ。果たしてどのように入社したのか?