対話の現場/指導者か対話者か 対話の現実と限界

✎ 1〜 ✎ 10 ✎ 11 ✎ 12 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

まずは「何」のレベルである。

「指示を出したら、相手に復唱させることだ。『3番のネジを締めろ』『3番のネジを締めます』というようにね。これは軍隊の方法なので嫌われがちだが、絶対にここから始めないといけない」

復唱には確認が必要である。「何番のネジか?」、「3番の何か?」、「3番のネジをどうするのか?」。矢継ぎ早に質問して、確認しなければならないという。

そこまで必要なのだろうか?

「疑うなら、実際にやってみればいい。相手が『何もわかっていない』ことを思い知るはずだ。新人は用語にも作業にも慣れていないから指示が聞こえない。ベテランは慣れているから指示を聞かないんだ」

次は「なぜ」のレベルである。

「なぜ」のレベルとは、言葉で明確に示されてはいないが、言葉から当然のように推論されるべき内容を理解しているかどうか。

たとえば「なぜ3番のネジを締めるのか?」。この問いに対する答えは、さまざまだろう。

「上司に言われたから」

「鋼板をつなぎ止めるため」

「船が沈んでしまうから」

これについて造船王は語る。

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事