犬をデキ愛「徳川綱吉」令和にも通じる深い信念 生類憐みの令の印象が強いが、意外な一面も

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そうして儒学を盛り上げた綱吉は、自分で儒学の本まで出している。それどころか、江戸城で大名たちに向けて、実に240回以上も儒学の授業を行ったというから、驚きである。ちょっと参加するほうは大変だったかも……。

どうも、綱吉はやることがいつも極端だ。周囲からは「ちょっと、やりすぎだよ!」と嫌がられることも多かったに違いない。だけど「思いやりのあふれる社会を作ろう」という理想を実現しようと、一生懸命だったのだ。

社会的弱者も守るように命じた法律だった

実のところ、「生類憐みの令」も、「人への思いやり」を重んじた綱吉ならではの法令だった。「ありえないほど犬を大切にした」という印象ばかりが強いが、同時に、子どもや老人、馬を捨てることを禁じるなど「犬以外の命も大事にせよ」とも説かれている。

捨て子については、親が子どもを育てる経済力がない場合は、役人が親に代わって子どもの世話をすることも取り決めた。さらに妊婦と7歳以下の子どもは氏名の登録を義務づけることで、捨て子や子殺しを予防している。

また、綱吉は、貧しい人に食事や宿泊所を世話することを国の役目として定めたり、牢屋にいる囚人が健康を損なわないための仕組みを充実させたりもした。近代に通用するような「社会福祉制度の充実」を、綱吉はすでにこの時代に行っていた、と思うとおのずと見方も変わってくる。

そんなふうに法令の内容をじっくり見ていけば、「生類憐みの令」も、その言葉どおりに「生き物すべてに慈悲の心を持つように」と、綱吉は説きたかったのだろう。

「それにしたって、動物をケガさせたくらいで、島流しや死刑されるなんて……」

そう思う人もいるかもしれない。けれども、当時は今の私たちが暮らす社会とは、比べものにならないほど、残酷な世の中だった。

別に恨みがなくても「切り捨てごめん!」と、刀の切れ具合を試すためだけに、武士が人を斬ることが平気で行われていた。戦国時代の武力がすべてだった時代をまだ引きずっていたのである。

こうした価値観をガラリと変えて「命を大切にしよう!」とみんなに思ってもらうには、「生き物を大切にしよう!」と訴えなければならない。マジメな綱吉はそんなふうに考えたようだ。

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