国枝慎吾「金メダル4回」叶えたメンタルの鍛え方 こうして車いすテニス界のレジェンドになった

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心の安定を保つためには、ルーティンも効果がある。ファーストサーブのときは打つ前に2回ボールをつく、セカンドサーブなら4回。連続で失点したときは、ひと呼吸置くためにタオルを取りに行って、1回顔をぬぐう。

「気持ちをリセットすることで、心を安定させるのも、技術だと考えていました」

すべては最高の状態でトーナメントに臨むために

アンの指導はメンタル面にとどまらなかった。国枝は言う。

国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム 一度きりの人生を輝かせるヒント
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「アンの肩書はメンタルトレーナーではないんです。ピークパフォーマンスのスペシャリスト。2年とか4年先と中長期の計画を立てて、目標に置いたトーナメントで最高の状態に持っていくために、逆算して準備していく。さらにフィットネス、栄養面の知識も豊かなので、勉強になりました」

2006年の全豪オープンでも、さっそく言われた。「試合の合間にバナナを食べなさい」。試合が終わると、「30分以内に必ず何か栄養分を補給しなさい」とアドバイスされた。

2008年の北京パラリンピックの齋田悟司とのダブルスで銅メダルを取ったときは、すでに深夜でプレーヤーズレストランに食べるものがない状況だった。翌日にシングルスの試合が控えていた。

そのとき、国枝に付き添っていたアンが、誰かが持っていたカップラーメンを見つけて、国枝に食べるように促した。栄養摂取にも最善を尽くしなさい。このアドバイスは現役時代を通じて、常に諭され続けた。

国枝 慎吾 元プロ車いすテニスプレーヤー

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くにえだ しんご / Shingo Kunieda

1984年生まれ。9歳で脊髄腫瘍のため車いす生活となり、11歳で車いすテニスと出会う。2004年、アテネパラリンピックでダブルス金メダル。2006年、アジア人初の世界ランキング1位。2007年、車いすテニス史上初となる年間グランドスラム。2008年、北京パラリンピックでシングルス金メダル。2009年、プロ宣言。2012年のロンドンパラリンピック、2021年の東京パラリンピックでも、シングルス金メダル。2022年、ウィンブルドン選手権を初制覇し、4大大会で優勝する「生涯グランドスラム」に加え、パラリンピックも制覇する「生涯ゴールデンスラム」を達成。2023年に世界ランキング1位のまま引退。2024年より、全米テニス協会の車いすテニス担当のアドバイザーに就任

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稲垣 康介 朝日新聞編集委員

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いながき こうすけ / Kosuke Inagaki

1968年東京都生まれ。1992年、朝日新聞社に入社、東京、大阪のスポーツ部、欧州総局(ロンドン)、アテネ駐在などを経て、現在、スポーツ担当の編集委員。五輪取材歴が長く、夏冬あわせて10大会を現地でカバーしてきた。国枝慎吾選手は2004年アテネパラリンピックで取材したのを縁に長年取材してきた。著書に『ダウン・ザ・ライン 錦織圭』(朝日新聞出版)。

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