「日本の仏教」と「釈迦本来の教え」の決定的な違い 日本では「大乗仏教」に形を変えて広まった
古舘:真理は1つではない、人それぞれ違うということですね。
何を選んでも自由
佐々木:その人が選び取った真理を、「間違いだから捨てなさい、こちらを真理として選びなさい」とは言えません。宗教は科学ではありませんから、それぞれが何を選んだとしても自由です。私たちが釈迦の教えを素晴らしいと言っても、普遍性のある主張ではない。それぞれの領域のものを選び取って、これこそ釈迦が一番言いたかったこと、釈迦の本意はこれだったと個人的に解釈するわけですから。
古舘:だから大乗仏教の世界では、釈迦の教えをさまざまな形に変えた教義が生まれてくるのですね。
佐々木:その変遷が大乗仏教の多様性を生むわけです。もし大乗仏教が釈迦の教えを曲解しただけの底の浅いものだったら、これほど長きにわたって信仰されていないでしょう。とっくの昔に途絶えてしまっているはずです。
古舘:現在に至るまで日本で信仰されてきたのには、それなりの理由や意味があったわけだ。
佐々木:たとえ釈迦の教えとは教義が違っていたとしても、その多様な世界を知ることによって大乗仏教の存在価値が見えてくるでしょう。
古舘:なるほど。ただ、科学がここまで信仰されるなか、私のように信仰はほしいけどあの世や神、仏といった超越存在を信じ切ることは難しく、「信仰難民」と化している人間には、実践できずとも、釈迦仏教の真理は沁みるのです。
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