子を亡くした女性にブッダが"冷たく"接した理由 「諦める」は、仏教では「明らかに見極める」
釈迦(ブッダ)はなぜ、子どもの遺体を抱えながら「この子を生き返らせてください」とすがる女性に“冷たく”接したのか? 40代で仏教に目覚めた古舘伊知郎氏と、釈迦仏教の第一人者・佐々木閑氏との対話を通じて、ブッダの逸話「ゴータミーの芥子」の意味について考える。
※本稿は、古舘伊知郎・佐々木閑著『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』より一部を抜粋・編集したものです。
真理を理解するには実体験が必要
古舘:釈迦の仏教は神を想定していないから「信じる、信じない」ではなく、この世の真理にふれさせていただいているということですね。
佐々木:ですから私は仏教に対して「信仰」という言葉は使いません。いつも「信頼」と言っています。釈迦の存在のすべてを無条件に崇めるのではなく、釈迦が教えてくれた方法に従えば自分を変えることができる、ということを信頼するのが仏教を信じるということなのです。
古舘:苦行を6年も続けて失敗したうえで、ようやくこの真理にたどりついた。天才でも6年ですよ。
佐々木:釈迦が苦行をやってみて失敗したというエピソードは、とても重要です。もし苦行を経験せずに悟ったとなると、「それなら瞑想ではなく、苦行で悟るという道もあるんじゃないの?」という疑問が残ってしまいます。「やってみたけどダメだった」という経験があったからこそ、苦行では本当の安楽は得られないと釈迦は確信したのです。
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