子を亡くした女性にブッダが"冷たく"接した理由 「諦める」は、仏教では「明らかに見極める」
古舘:そのあと釈迦はインド北部のベナレス(現・ヴァラナシ)近郊のサールナートで、最初の説法「初転法輪」を行います。もし、釈迦が悟りを開いた段階で、そのまま安楽に生きて、ひっそりと死んでいったなら、この説法もしないわけだし、仏教自体も誕生しません。でも、こうして広まったのは、釈迦の考えが変わったということですよね。
佐々木:釈迦の教えが広まるきっかけとなったのが「梵天勧請」というエピソードです。「梵天」とは当時インドで信仰されていたバラモン教の最高神で、「勧請」とは、お願いすることを意味します。釈迦の伝記によると、誰にも教えを説くことなく、静かに死んでいこうと考えていた釈迦に向かって、天から降りてきた梵天が、「世の中の苦しんでいる人たちのために、あなたの道を説き広めてください」とお願いをした、とされています。その願いを聞き入れた釈迦は、その後の自分の生き方を、「他の者たちに教えを説いて救う」という方向に変えたのです。
古舘:仏伝は物語が本当にきちっとできていますよね。
佐々木:素晴らしいストーリーです。梵天勧請をはじめとする架空の話が多く入っていて、すべてを歴史的事実として認めることはできませんが、「釈迦とはどういう考え方をした人なのか」を皆に知ってもらいたいという思いでつくられた、とても優れた物語です。
自分で動いて、初めて「子どもの死」を理解した
古舘:「ゴータミーの芥子」(からしをケシとする場合もある)もあとから創作された話ですか。
佐々木:釈迦の弟子になったキサー・ゴータミーという女性の話ですね。誇張はあるかもしれませんが、これはとてもリアルな話なので、実際の事件に基づいているのだろうと思います。
古舘:ゴータミーは貧しい家からお金持ちの家に嫁ぎ、子どもも産まれて幸せな日々を送っているのに、ある日その子どもが病気で亡くなってしまう。悲しみのあまりその子の遺体を抱えたまま、出会う人ごとに「この子を生き返らせてください」と無理なことを頼みながら町中をさまよっているときに釈迦と出会う。
釈迦は「死者を出したことのない家に生えている芥子のタネを持ってきたら、それで生き返らせる薬がつくれるだろう」と言って、ゴータミーはすぐさま町中の家を訪ねて芥子のタネを探しまわるわけですね。死者を出したことのない家なんてないのに探してこいなんて、ひとつ間違うと釈迦が超意地悪に取られちゃうじゃないですか。