「日本の仏教」と「釈迦本来の教え」の決定的な違い 日本では「大乗仏教」に形を変えて広まった
古舘:炊飯器にたとえると、「ワンタッチでご飯が炊けますよ」みたいなことですね。
佐々木:そうです。かまどで炊くのが釈迦の仏教なのですが、それがワンタッチで炊けるようになってくるのです。
ただしここで問題なのは、そうやってインスタント化した教えが、本当に私たちの生きる苦しみを消し去る機能を持っているのかどうかです。インスタントなものにはそれなりの怪しさもつきまといますから。これに関しては、大乗の教えでいいと考える人もいるでしょうし、釈迦の教えのほうが信頼できると感じる人もいるでしょう。そこは選択の問題です。
ともかく、こうして新たに登場したさまざまなスタイルの大乗仏教は皆、「我こそが釈迦の教えである」という看板を掲げてインドに広まっていきました。時系列に沿って釈迦の仏教から種々の大乗仏教へと、仏教は次第に変容してきたと皆わかっているのならば、「最新式のインスタント仏教は便利だけれども、本物は別にあるのでは」という半信半疑な気持ちになりますね。ところが、どの製品も「これこそが釈迦が説いた本物だ」という謳い文句になっているわけです。知らない人が見たら、どの製品を選ぶでしょうか。
古舘:全部に「元祖、本家」とついているなら、最新型を選ぶに決まっていますね。
佐々木:はい、こうして、歴史的には一番新しい教えが、最も良い製品として皆の注目を浴びるようになるのです。
真理は1つではない、人それぞれ
古舘:失礼な言い方かもしれませんが、大乗仏教は大変便利であると言えますね。だから僕も、生きるうえで重宝しています。
だけど、真理は本来そこまで便利ではないし、やはり薪やかまどで炊く最初のやり方が本物だと思っています。それなのに、実生活では便利な最新式を使ってしまう。このような二重構造で生きていいのでしょうか。
佐々木:どちらを選ぶか、どのように使うかは消費者によります。釈迦の教えでなくても最新式ならいい、という人もいるわけです。自分にとって生きる支えになるのであれば、別に本家でなくていいでしょう。
ですが、私も古舘さんも釈迦の教えが真理だと信じていますから、釈迦の仏教を選びました。それは私たち独自の感性の表れであって、それが唯一の正解だ、などということにはなりません。必要に応じて最新式の大乗仏教を取り入れることも、もちろん間違いではありません。どちらをどのように選んだとしても、その人にとっては真理なのです。