「日本の仏教」と「釈迦本来の教え」の決定的な違い 日本では「大乗仏教」に形を変えて広まった

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古舘:それなら釈迦はきっと、「大乗仏教」のように形を変えて世界中に広まるなんて思いもよらなかったでしょうね。日本では釈迦の仏教ではなく、神や仏といった絶対的存在を認める大乗仏教が浸透しているわけですから。

そもそも、なぜ日本では大乗仏教が普及したのでしょうか。時代背景も含めて、佐々木先生にうかがいたいです。

自分の中にある仏性

佐々木:大乗仏教の特徴の1つである「悟りのインスタント化」が大きいでしょう。大乗仏教は釈迦の仏教とは違って、自分の中にある煩悩を自分の力だけで消していこうとするのではなく、なんらかの外的な助けを借りて消そうとします。たとえば、「自分の心の内には、もとから仏が存在している」という仏性思想は大乗仏教の代表的教えの1つですが、これは「自己を見つめる」という行為だけで悟りを開くことができると考える点で、悟りへの道が極端に簡略化されています。この教えを究極にまで推し進めると「いまの状態がそのまま悟りだ」という、釈迦の教えとはまったく異なる現実肯定論に行き着きます。

古舘:自分の中にある仏性に気づき、人として正しく生きていれば誰もがブッダになれるという物語は大乗仏教でよく説かれていますが、ストーリー性のある説法が民衆にとって親しみやすかったのでしょうか。

佐々木:親しみやすいというよりも、救いの道がインスタント化されたために、そのアピール度が釈迦の仏教よりもはるかに高いのです。誰だって「困難な道を時間をかけて歩まねばならない」という教えよりも「誰でも簡単に悟れます」という教えに惹かれるのは当然のことですから。

いまの産業世界の商品でたとえると、最初に出てきたのは釈迦の仏教。そのあと、さまざまな機能をつけ足して出てきたのが大乗仏教です。ベースとなる最初の製品に便利な機能をつけて「こちらのほうが手間を省けますよ」というふうに次々と新製品がつくられる。こうして悟りの領域や道筋がどんどんと簡素化していき、機能性の高い改良されたものが手に入る、という形で大乗仏教は生まれました。

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