村上頌樹が振り返る「669球を投げぬいた」甲子園 大阪桐蔭との一戦が「虎のエース」を変えた

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── 甲子園では、初戦の出雲戦は6対1。5安打、7奪三振、無四球完投でした。センバツの続きのような投球で好発進。しかし、次の鳴門に敗れ、高校野球が終わります。

記憶に残っているのは9回です。9回表、2対2の同点から3点を取られて。

── 二死満塁からライト前にタイムリーを打たれ、さらに悪送球も絡んで走者一掃でした。

最後は高めに浮いた球を運ばれ、ライト前に落ちたんですけど、その1球前をしっかり投げ切っていれば三振に打ちとれたはず。でも、それが少し外れてしまって……。

いいコースにいったと思ったんですけど、後から見たら外れていましたね。でもその時は「えっ、ボール?」と思ってしまって、気持ちがちょっと切れたというか、切り替えられませんでした。

あぁ、高校野球の終わりってこんな感じなんや

── 終わった瞬間の記憶はありますか。

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9回裏、自分が一塁に出ていて、次の選手がフライを打って試合が終わったんです。その瞬間は「あぁ、高校野球の終わりってこんな感じなんや。明日から野球なくなって、何をしようかな」と。そんな感じだったと思います。

── あの夏から8年。今は甲子園球場を本拠地で投げていますが、当時と違いますか。

今も甲子園はすごい場所ですけど、子どもの頃から憧れ続けて、当時はとにかくそこを目指して、毎日練習していましたからね。やっぱり、高校生にとって甲子園球場は特別な場所だと思います。

今は本拠地として、ファンの方の熱い応援を受けて落ち着く場所。そんな感じです。

── もし鳴門に勝っていたら、センバツの時のように夏の甲子園でも投げ続けていたでしょうか。

どうだったんですかね。体は大丈夫でしたし、夏もいくらでも投げられそうな感じはありました。

でもこうして振り返ると、春に優勝することができて、夏も甲子園で終われた。高校野球も甲子園も十分満喫させてもらったなと、ほんとにそう思います。

谷上 史朗 ライター

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たにがみ しろう / Tanigami shiro

1969年生まれ。大阪府出身。高校時代を長崎で過ごした元球児。県立長崎東高校時代は頼りない外野手だったが仲間に恵まれ3年夏に長崎大会準優勝。イベント会社勤務から30歳で脱サラしライターに。『野球太郎』『ホームラン』(以上、廣済堂出版)、web Sportiva(集英社)などに寄稿。著書に『マー君と7つの白球物語』(ぱる出版)、『崖っぷちからの甲子園―大阪偕星高の熱血ボスと個性派球児の格闘の日々』(ベースボール・マガジン社)。共著に『異能の球人』(日刊スポーツ出版社)ほか多数。阪急ブレーブスと沢田研二をこよなく愛し続ける物憂げ系。今の高校野球界を引っ張る“西谷世代"でもある

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