村上頌樹が振り返る「669球を投げぬいた」甲子園 大阪桐蔭との一戦が「虎のエース」を変えた

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── 試合当日は8月15日。お盆期間の第1試合、観衆は4万7000人でした。

ほんとにすごい雰囲気のなか、相手の明徳も岸(潤一郎/現・西武)選手中心に強かった。

── 智弁学園も岡本選手を中心に注目されていました。

自分がいた3年間のなかで、間違いなく1番強いチームだったと思います。

近畿大会での大阪桐蔭戦が、大きく変わる契機に

── ここで1年夏が終わり、秋からはエース。しかしその秋と2年夏は、最大のライバルである天理に連敗し、甲子園出場はなりませんでした。そして2年秋は奈良大会を制し、センバツにつながる近畿大会でも初戦で神港学園に勝利。ただ、つづく大阪桐蔭戦は9失点で完敗でした。

あの大阪桐蔭戦は、自分が大きく変わるきっかけになった試合です。「打たれたらどうしよう」と、弱気な気持ちになって攻め込まれたんです。やる前から気持ちで負けていた。だから、ピッチングでも厳しいところばかり狙いすぎてフォアボールにしたり、カウントを不利にしてストライクを取りにいったところを打たれたり。

技術面も足りなかったと思いますけど、気持ちの部分で負けていたら抑えられるものも抑えられない。

── それからどのように変わっていったのですか。

OBの方にメンタルやピッチングの考え方を教えてもらったことも大きかったのですが、1番は「打たれたらどうしよう」ではなく、「やってやろう」「抑えてやろう」という気持ちで投げられるようになったことだと思います。

── そう思えるだけの練習を積んだことが大きかったと思いますが、気の持ち方によってボールって変わるものですか。

変わりますね。不安のまま投げたボールは、打者の手元で力がなく、怖さもない。でも気持ちがしっかり入って投げたボールというのは、最後までスピンが効いていて、ベース上で勢いがあります。

── しかしあの当時、近畿大会での大阪桐蔭戦の投球を見て、センバツであれほどの投球をするとは想像もしませんでした。

自分でも出来すぎた感はありましたけど、負けたくない気持ちがいい方向に出たのだと思います。

── センバツは全5試合、47イニングをひとりで投げ抜き自責点はわずか2。振り返ると、まず福井工大福井戦の10安打完封からのスタートでした。

この試合はめちゃくちゃ印象に残っています。試合が終わって、校歌を歌う時に整列してスコアボードを見たら、「えっ、10安打も打たれてたん?」と。そんなに打たれていると思っていなかったんです。

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