村上頌樹が振り返る「669球を投げぬいた」甲子園 大阪桐蔭との一戦が「虎のエース」を変えた
── 何が一番すごかったですか?
それはもう岡本さんのバッティングです。金属ではなく、木製のバットで軽々とサク越えして……とにかくすごかった。
── 高校時代の岡本選手は、ピッチャーとしてもマウンドに上がっていました。「ピッチャー岡本」はどんな印象ですか。
球が速いなと。あとは……。
── ボールを見て圧倒されることはなかった?
はい(笑)。ほかの3年生のピッチャーのほうがすごかったです。
── しかし、そんなすごい先輩たちのなかで1年夏からベンチ入り。
最初はBチームからのスタートで、ある時、監督から「次の練習試合で結果を出したらAチームに上げる」と言われたんです。そこで抑えて、次からいきなりAチームで、平安(龍谷大平安)相手に投げていました。
甲子園の「熱気と応援」しか記憶がない1年の夏
── 1年夏の県大会はどうでしたか。
2回戦で代打として出たのが最初で、3回戦は先発で投げると言われていたのですが……それが当日になったらレフトでスタメンでした。なんでレフトだったのか、わからないです。その次の試合もレフトで、結局、県大会は4試合野手として出場しましたが、登板はありませんでした。
── それだけバッティングが評価されていたと。智弁学園で1年夏から出るのはなかなかです。しかし甲子園では、明徳義塾に初戦敗退。この試合の最後、マウンドに上がりました。
あの時も試合中に投球練習をして、監督に「準備できました」と言ったら、キャッチボールしとけと言われたので登板かなと思ったら、たしか6回の守備からレフトに入りました(笑)。
── レフトで途中出場し、4対10とリードを奪われた8回裏に4番手で登板。しかも岡本選手のあとを受けてのリリーフ。なかなかの豪華継投です。
そうですよね。いざ投げるとなると、一気に緊張感が増して、マウンドでのことはほとんど覚えていなくて。覚えているのは、甲子園の熱気と応援がすごかったことくらいです。
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