だが彼にしてみれば、ベルギーの価値など高が知れていた。あるときなど、「Petit pays, petits gens(小さな国、わずかな人)」と蔑んで言っている。彼は、もっと大きなものを夢見ていた。
ある日レオポルドは、『ジャワ、あるいは植民地の運営の仕方(Java, or How to Manage a Colony)』という本に、思わず引き込まれた。それは、植民地建設のための一種の実用ガイドであり、ジャワ島について書かれた本だった。
レオポルドは、すっかり虜になった。唯一の問題は、ベルギー国民の大半が、自国の王が魅了されたばかりのものに共感を覚えなかったことだ。植民地の建設は、ベルギーのような小国にとってはあまりに高価に思えた。
レオポルドは、そのような国民の認識を変え、自らの王国の偏狭さを脱する必要がある、と判断した。「ベルギーは世界を利用して利益をあげていない」とレオポルドは嘆いた。「この国に、そうするだけの分別をわきまえさせなくてはいけない」。
他のヨーロッパ列強がアフリカを山分けしはじめると、彼はますます欲望を刺激された。「アフリカというこの素晴らしいケーキのひと切れを我が物にする絶好の機会を見逃したくはない」。
レオポルドは、自らコンゴ自由国と名づけた場所を支配下に収めた。この新領土は、ベルギーの76倍もの広さがあり、アフリカというケーキでもかなり大きなひと切れだった。だが、そのひと切れはベルギーのものではなかった。レオポルド自身のものだった。彼が事実上所有していた。コンゴは彼個人の領土となった。
レオポルドを破綻から救った思いがけない発見
だが、レオポルドは植民地の運営の仕方がまったくわかっていなかった。たちまち彼は、完全にお手上げの状態に陥った。負債が膨らむ一方だった。彼は、例のガイドブックからは、迫りくる財政破綻への対策は学んでいなかった。
だが、その破綻に見舞われる前に、偶然の科学的発見と大量の自転車によって、思いがけないかたちで救われた。
この数十年前、ゴムに対する熱狂がアメリカ全土を駆け巡った。ブラジルの木々から採れるベタベタした樹液によって、ありとあらゆる種類の胸躍るような新製品の製造が可能になりそうだった。投資家たちは、ゴムの生産に何百万ドルも注ぎ込んだ。
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